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登録年月 07/2004

« 日本のロケットはなぜ失敗するのか | メイン | 雑音の中でも通信可能なUWBって »

2003年12 月 3日 (水曜日)

コメント

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m_um_u

んで、
レッシグとしてもそういうGPLラインなはずで・・
ギリギリなとこで、せめて新しく生まれるコンテンツは守ってこう、って感じだと思うですが・・

そういう流れって言うのは、政策介入に関する林紘一郎的見解とレッシグ的見解の分かれ目(※)に絡んでくるのかどうか・・ていうのが面白いんでしょうが・・

※コモンズを守るためにレッシグは、「司法の場で争えば公開されてるはずだから証拠残るし・・」って見解で政策介入を促すんだけど、林紘一郎とかは「日本の総務省は◎○だから・・却ってキケン」みたいなことを言って対立してるはずなんです

m_um_u

>  最大の疑問はCCが現著作権法を否定していないこと。否定どころか、著作権法を認め、その中で妥協を探る運動を推進しているのではないか、と思えることだ。米国のレコード協会やハリウッドがCCを否定していないし、JASLACも否定していない。つまり既得権を持つ業界が賛成しないまでも否定していない、ということは、pro patentとanti patentの中間的存在といいながら、pro patentに近い存在であることは間違いない。

ってことなんですが・・
これってGPLのときにも出てたギロンじゃないでしょうか?

たしかGPLと・・えーと・・ストールマン(だったかな?)の対立かなんかがあって・・

ストールマンは<既存著作権法前面反対>みたいな姿勢示すけど・・それだとあまりにも糾弾的過ぎて・・・こう・・<共産主義(?)>みたいな目で見られて、周りから引いていかれちゃうんですって・・
で、
GPLのほうは、もうちょっとゆるくして・・
「ほかのとこの著作権にはどうこう言わないけど、とりあえず自分たちのコンテンツだけは守っていこうよ(そこからはじめようよ)」って感じだった気がするんです
(今年の初めか去年あたりの(3月ぐらい)現代思想にそれ系論文ありました)

で、
ぼくはCCってのもそのラインだと思ってたんですけど・・・
まだ確認してなくて・・・

どうなんでしょうね?

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