adsense

関連サイト

サイト内検索

カスタム検索
Powered by TypePad
登録年月 07/2004

« 旧国鉄思考そのままのスイカ | メイン | チベットは吐蕃だった »

2008年3 月12日 (水曜日)

コメント

フィード コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。

新人

民営化の流れに逆行していた。自治体が銀行など作るものでない。銀行は何時の世にも世間の嫌われ者。わざわざ嫌われ者を作ることはなかった。
都民の税負担を減らすために残された選択肢は、都による銀行の温存ではなく、民営化、売却または閉鎖のいずれかである。

junhara

ふるさと税制で何千億円も地方に持っていかれ、新銀行でン百億、ン千億持って行かれ、地方税は増税され、国保料も増税ですから、都民はたまったもんじゃない。外形標準課税をいっそのこと強行してくれたらよかったのに。
新銀行の最初のアイデアはペイオフ対策だったらしいですよ。銀行に都はン兆円も預金というか取引があって、それを新銀行で決済、運用することが目的だったみたいです。

佃 均

石原さんは旧経営陣の責任を強調しているけれど、発案者であり最終責任者なのだから潔くない。官僚機構が作った机上の空論に乗せられただけじゃないか、とも思います。私は金融のことは素人ですが、無担保融資とはいえ、知財とかをエスクロウし、証券化するというような知恵がなかった、というのは噴飯ものです。うまくドロンした奴のほうが頭がよかった。
原さん、東京都民だったのが不幸でしたね。
といいながら、これは決して東京だけの問題じゃない。全国あちこちで机上の空論が実害を生み出している。政策立案者が現場から乖離して、自分のふところが痛まないお金をジャンジャン使って責任を取らない。国民訴訟法を作って、責任者の個人財産を没収するようなことをしないとダメなんでしょうね。そういう社会も悲しいですね。

この記事へのコメントは終了しました。

最近のコメント

最近のトラックバック