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登録年月 07/2004

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2008年11 月13日 (木曜日)

コメント

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親展

>諒様

お気づきでないと思われるので一言。

死を悼むという行為は、その死に価値をみいだそうとするものです。
戦死された軍人方と、戦災で亡くなられた方とで、その価値にどのような違いがあるのですか?
あの戦争で亡くなった方々はすべて犬死なのですか?

誰かの死を悼むことができるが、確たる理由も無いのに別の誰かの死は悼めない。
それは差別です。
軍人を「嫌う」のは結構です。
ですが、「差別」となると別問題です。

田母神問題の根っこもそこにあるのではないでしょうか。

上記のような主張をされるなら、日本兵の死を悼めない理由も併記されるべきです。

諒

70年安保世代の者です。
高校の日本史の最後の授業は「第二次大戦で死んだ日本兵は犬死にだったのか否かについて議論せよ」というものでした。
彼等は犬死にだったという意見が大勢を占めた時、学徒動員世代の教師は悔しそうな顔をして『きけわだつみの声』の一節を朗読しました。
BC級戦犯として処刑された人の手記でした。読み終えて「それでも君たちは彼等が犬死にだったと言うのか」と言い、『ああ玉杯に花うけて』を歌って最後の授業を終えました。
教師の気持ちも解らないでも無かったのですが、情で迫られても結論を変えるには至りませんでした。

親展

団塊Jrの親展です。

>私の戦争学習は親父の戦友の個人的体験、成長してからの独学といっていい。

現在ここに訪問している人間はある意味、皆そうなのではないでしょうか。
私も祖父母から聞かされてきましたし、学校で殆ど習わなかったのも同様です。

やはり大学でパソコンとインターネットに触れたのが大きかったと思います。
また、外国の方とも話をしてみて、一部と大多数とで日本への評価が正反対であることも。

なにより、歴史を学ぶなかで自分がそれまで教わっていたことを検証した時の驚きは、今でも忘れません。
今までの価値観に、証拠が無いばかりか反証ばかりが存在していた、あの喪失感と怒りは忘れられません。
信じたくなくとも、よすがが何もないのです。

そして、怒りは嘘をついていた者達へ向けられるのです。

現在、私と同様な考えを持つに到った人間は、ブログ主様と同じ価値観を過去に持っていた人間が少なくは無いはずです。
私自身そうなのですから。

無邪気に日本がすべて悪いと思っていた子供の頃。
戦争は確かに悲惨なものでしょう。
ですがその悲惨さから目を背けるため「戦争は絶対悪であり理由など関係ない」と思考停止を続けた結果が、現在の歪さをもたらしているのではないでしょうか。

どんなことにも理由はあるものだと思います。

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