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登録年月 07/2004

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2005年3 月30日 (水曜日)

コメント

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犬笠銀次郎

昨日、宮台真司のサイトでトーク・オン・デマンドのプレビューを見た。「朝まで生テレビ」をはじめとする従来の大手のテレビ討論では見られない小室直樹や中村修二が出ていた。入会に月額 500 円必要とのことなので、迷っているが、多分ド貧民の自分には無理だろう。

こういう、従来のケーブルテレビのように地理的に固定されない、ローカルなメディアがもっと出てきてくれるといいのだが。その方が内容も充実するし、大手メディアのように取り扱う内容が画一的になることもない。そして、こういう活動が増えてくれば、既に「寡占状態」に陥っている国内のヘッポコな情報配信状況に、本当の意味(≠ホリエモンが主張していた意味)で「風穴を開ける」ことになるだろう。

そうなれば、例えば以下のサイトに代表されるような、「左翼 vs. 右翼」式の二項対立(イラク戦争以後は 「左翼 vs. 親米右翼 vs. 反米右翼」の三項対立に変わったようだが、大した変化ではない。)でしか物を見れない考え方も次第に解消されるだろう。

対抗言論のページ (http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/)
日の出講芸 (http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei)
憂国ユウコの日記 (http://dklog.jp/u/yuuko999/)
長尾誠夫の HOTPAGE (http://homepage1.nifty.com/1010/)

上の連中のサイトを見てると、素人の自分にもよく分からない主張が出てくる。代表的なものを挙げるなら、小泉氏の靖国参拝の件と卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の件だ。

小泉氏の靖国参拝に関しては、「中韓に媚びず断固として終戦記念日に参拝せよ!」 vs. 「中韓に対する謝罪の意思も込めて即刻中止せよ!」という二項対立が有名だ。小泉氏が靖国に参拝しようがするまいがどっちでも良いが、参拝するなら中韓の感情を徒に煽らないように最大限努力するべきだし、参拝をやめるなら国内的不満を解消するべく中韓から日本の利益になるようなことを引き出さなくてはならない。二項対立野郎どもの提案はこのいずれも満足していない。

先に言っておくが、「中韓がいなくてもアメリカ様と一緒なら『国益』は保持されるらむ〜〜〜」とか「『国益』を捨ててこそ真の謝罪らむ〜〜〜」とかやめろよ。中国・韓国への文化的・経済的依存度を知っているなら、今の時代「脱亜入欧」はあり得ない。そして、日本政府は日本国民に対してしか責任を負わないのだから、日本政府が主体になる以上は、どうあっても最終的には日本の「国益」にかなうようしなくてはならない。(たとえ、日本政府が「XX の国のことを考えて」「国際社会のことを考えて」と言ったとしても。)

結局、二項対立野郎は、こういう具合に「外交というのは慎重かつ丁寧な交渉の連続である」という基本的事実を理解していない。因みに今日、小泉氏は「靖国参拝に関して他国から干渉される筋合いはない」などと、あろうことか中韓を刺激する内容の発言をした。いらんこと言わなきゃいいのに。

卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱に関しても、意味不明なことが多い。(I) 国旗・国歌の成り立ちに関する歴史を知らないか、知ってても言わない連中が多い。(II) 戦中の歴史を省いたとしても、国旗掲揚・国歌斉唱の強制には問題があることをわかっていない連中が多い。

国旗に関しては、明治期に国際法の関係で、船舶に国旗を掲げなくてはならず、それまで慣例として「日の丸」を使っていたので、政府が国民的合意を無視して、場当たり的に国旗に指定した。国歌に関しても、「君が代」はイギリス人作曲、ドイツ人編曲の歌だ。しかも旋律がグレゴリオ聖歌を真似たものらしい。

というわけで、フランスの三色旗やアメリカの星条旗のように「日の丸」にはメッセージ性がない、つまり「日の丸」を国旗たらしめる理念がない。そして、「君が代」も日本オリジナルではない。つまり、「君が代」を国歌たらしめる合理性がない。本当の「右翼」なら、「何の理念も込められてない旗が我が国の国旗なんてあり得ない! 外国人作曲の歌が日本の国歌なんてあり得ない!」となるはずなのだが、なぜかそうはならない。

そして、そんな歴史的なことを無視したとしても、国旗であろうと国歌であろうと、日本国内で何かを「強制」をすることは、本来なら「思想の自由」「行動の自由」に反するのである。「法律=国家から国民への命令」で強制するならなおさらだ。国旗を掲げる自由があるなら、国旗を掲げない自由があっても良い。国歌を歌う自由があるなら、歌わない自由があっても良い。その選択を否定するということは、他人の自由に枷をつける行為に他ならないからだ。国家の命令を遂行する義務のある公務員ならまだしも、私人にすぎない学生にはその選択権は認められてしかるべきだ。学生の人も、国旗・国歌に反対するなら、堂々とボイコットしたら良いと思う。崇高なメッセージの無い国旗に敬意を払い、かつ国家的オリジナリティーの無い国歌を歌わなくては、式への参加を認めない独善的な卒業式なんか、無視してやれ。

長尾誠夫 氏のサイトを見てると、「大多数の意見を尊重するのが民主主義の原則だから、「強制」は当然らむ〜〜〜」的なことが書いてあった。誰が書いたか知らんが、アホか、と思った。少数の意見も尊重するのも民主主義の原則だ。他にも、「大多数の賛同」=「全体の賛同」、「少数の反対」=「反対無し」と数学者が聞いたらビックリするような、およそ集合論的には成立しないような主張を展開していた。こんな馬鹿げた主張を堂々と自身のサイトにのっける氏の論理的思考能力を疑わずにはいられない。長尾氏の生徒さんらには心から同情する。自分も中高時代はワンサカいるバカ教員にさんざん虐げられ、ついには急性胃腸炎になったこともあった。

面白い話を一つ紹介しよう。アメリカでは 1989 年に国旗保護法ができ、これに反発する連中が国旗を燃やして起訴されたが、シアトル連邦地裁でこの法が憲法違反であるとの判決が出た。「旗を振る権利」と「旗を損なう権利」の両方を保護してこそ国民全体の自由が約束されることになるからだ。

真なる「保守」の精神とは、どんなに自分に対して攻撃的でも、それを真っ正面から受け入れる「どっしり」とした精神のこと。国歌や国旗をけなされたからと言って、ヒステリックにギャースカ喚く奴には「保守」なる精神があるとは言えない。真なる「革新」の精神とは、誰に対しても自分の思うことを論理的かつ冷静に伝え、自分の理想を実現するために行動し、その結果に対し責任を負う「しなやか」な精神のこと。自由と無秩序の違いがわからない奴には「革新」なる精神があるとは言えない。

<参考文献>
「M2 われらの時代に」(宮台真司、宮崎哲弥 共著、朝日出版社 刊)
「朝日新聞 天声人語 '90 夏」(朝日新聞論説委員室 編、原書房 刊)

気持ちは高校生

母校の高校では国歌斉唱を強制することに反対して、入学式を休んだ音楽教師がいたと聞きます。多くの外国人の生徒がいる高校では、壇上に様々な国家を並べるのが普通だったのに、どうも壇上には日本国旗のみと言われているらしい。都立高校である為、東京都立教育委員会が設立に関係していたはずなのですが、いつの間にやら国家国旗を、と言っているのには深い訳があるのだろうか。

鎖国制度の日本から、実はあまり変わっていない様な気がしてなりませんでした。どうなのでしょう。

すみれ

私共団塊の世代あたりは学校時代に国旗掲揚・国歌斉唱が年がら年中あり何の疑問も感じませんでした。
でも最近の国歌斉唱は入学式と卒業式だけなのでしょうか?
娘(小6)は「君が代」も知らないというので、歌ってあげたら「ダサい」とのこと。
確かに現代の世知辛い世の中には、テンポがスローだし、全体の印象が暗いように思えます。
「君が代」ともう一曲新しい国歌があったらいいのに~と思いますが…。

アクエリアス

> あの時、戦争は日米両国民のためにならない、と昭和天皇が発言していたら、戦争は回避できていたかもしれない。
>歴史にifはないが、昭和天皇が今上天皇のように発言していたら、東条首相など当時の政府関係者は、今回と同様、きっと慌てふためいたに違いない。

昭和天皇が平和的発言をするのなら積極的に発言してもいいわけですか(笑)?
もし反対に昭和天皇が好戦的な方で積極的にドンパチしたいと思っていたらもっと悲惨な結果になっていたのでは?
君主のポリシーがどうであれ政府の決定には従うのが立憲君主制というものです。
天皇が自由気ままに発言して思う様に政策を決められるのならそれは独裁制ですよ。
開戦を停止するような発言を言えるということは、その気があれば積極的に開戦するように工作する事も許される、という事ですよ。
昭和天皇はそういう事が分ってたからこそ、あえて自分の本心を明されなかったのでしょう。
自分の気持ちはどうあれ政府や国家の方針には従わなければならないと、思っておられたのでしょう。
同じく自分の政治信条はさておき国の政策に従うのが公務員というものです。
教師が職務時間中に自分の好き勝手に振舞えるとすれば、オウムの教師が学校で布教する事も右翼の教師が洗脳を行うのも自由という事でしょう。
教師は職務として国旗や国歌を尊重する事を定められているのだからそれに従うのは当たり前でしょう。
日の丸や君が世が気に入れなければ自分達と同じ信条の政党を与党にして法律で改正しなければならない。
公務員たる教師が職務時間中に職務をサボタージュすれば罰せられるのは当然というだけの話です。
今上天皇は戦後民主主義者だけに、残念ながらそこら辺の道理が良く分っておられません。
その点で先の発言はそういう意味で軽率という他ありませんね。

と同時に<左翼の人>も自分に都合がいい時だけ天皇の発言を引用するのはあまりに調子よすぎですね。
自分に好都合ならヒトラーやスラーリンの言葉でも賛美しそうですよ(笑)。

エレミヤ

Junharaさん、YTさんのご意見に同感です。
確かに強制はよくないですが、ただ卒業式の壇上で高校生たちがいきなりスローガンを叫ぶのは異様に感じます(こんな私ってやっぱオバサン?)彼らの行動は受け継がれて闘争となるのでしょうか。昔の学生運動よりもガキっぽくてなぜか悲しい。

YT

たまたまNHKのクローズアップ現代でこのことをとりあげていたのをみましたが、役人は随分と不粋なことをするなあと、思いました。卒業式くらい和やかにしたらどうなんでしょう。

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