鮎の肝を塩漬けにしたものをうるかという。食べたことはないが、子どものころ、くぎを踏み抜いた時、そのうるかで湿布をしてもらい傷が治った。
そのころ、わが家の隣に父の姉夫婦が住んでいた。叔母は元看護婦。その夫は元遠洋漁業の乗組員だった。その叔父は夏休みになると、私を連れて相模川に鮎釣りに行った。どれほどの釣果だったのかは記憶にない。釣った鮎を食べた記憶も定かではない。
だが叔母は鮎でうるかを作っていた。くぎを踏み抜いた傷になぜうるかを塗ってくれたのか、は分からない。看護婦としての知識があったのだろう。傷はいつの間にか治っていた。
その叔父叔母の家には肺病を患った若者が同居していた。あまり近寄ったらだめだよといわれていた。その若者と叔父叔母との関係は子どもの私には聞けなかった。いつの間にか若者はいなくなっていた。
叔母は正月になると、私たちにお年玉をくれた。だが、叔母の家に行かないともらえなかった。私の親には内緒で渡したかったらしい。ある正月。妹が叔母からお年玉をもらったと知った。妹が自慢したのだ。私もお年玉が欲しかった。それでウソをついた。叔母に「おばあさんが呼んでるよ」。祖母は叔母の母親である。そいう事実はなかったのに、叔母と顔を合わせ、お年玉をもらう口実にウソをついたのだ。叔母からはまんまとお年玉をもらった。そんなウソはすぐにばれる。事実すぐにばれた。顔から火が出るほど恥ずかしかった。ウソとはこういうことか、と気づいた。
うるかとウソと肺病。子どものころの苦い思い出である。
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