いよいよ講義の本番。ガイダンスの1回目は立ち見も出るほどでしたが、実際に聴講届けを出した学生は124人でした。私も学生時代、4月は最初だけまじめに講義を聞き、すぐに飽きるパターンの繰り返しでしたから、まあ歩留まりは高い方ではないかと思います。
今日のテーマはかねてからの持論、日本人情報音痴論。日本人は情報のハンドリングというか上手な利用ができない民族であるという仮説をたて、それを実証しようというものです。
公開情報だけ比較しても日米もし戦わば、日本が負けることが分かっていたのに、なぜ日本は無謀な太平洋戦争に突入したのか。阪神大震災で支援物資は大量に届いたのに、どこで何が不足し何が余っているかの情報が整理できないまま、支援物資がうまく行き渡らず、大きな無駄が出た。
企業内でもCIOを置いている企業はまだ少ない。情報部門は出世街道から外れている。多くの企業は隣の会社が投資するからうちも投資するという傾向が強く、まるでファッションのような扱い。
というような例を語りながら、次のような事実はどう考えるのか、問いかけました。欧米の映画ではスパイがヒーローになっている。007しかり、忍者タートルしかり。それに反し日本ではスパイがヒーローにはなれない。時代劇の忍者はほとんど悪者扱い。新聞記者もかつてはブンヤと呼ばれ、蔑まされた存在だった。
この情報能力の欠如、抜きがたい情報部門軽視がなくならない限り、日本はITで先進国にはなれないというのが講義のあらすじです。
ところで学生に情報とは何かと質問してみました。ITでは先端的大学です。しかも環境情報学部まであるのです。当然、情報の定義はすらすらいえる、と思っていたのですが、だれも手をあげません。どうも教わっていないらしいのです。
お手伝いの院生に代わって答えてもらいました。するとSFCでも定義は聞いたことがないというのです。先生に聞いても、それは自分で考えなさいという答えが返ってくるそうです。
記者になりたてのころ私もニュースとは何か、考えました。自分なりに発見するまで3年くらいかかりました。「ねえねえこれ知っている?」と人にいいたくなることがニュースなんだというのが若き日の私なりの答えでした。かっこよく言えば、worth to printであるかないかということです。
情報も記事も同じようなところがあります。情報とは、ある目的を持って相手に精神的、肉体的行動を起こさせるデータ、事実、指示、文章である、と私流に定義していますが、目的を同じくしない相手にはいくら貴重な情報でも、猫に小判になることがあります。情報は情報だけで存在しても意味がありません。ある目的、それはさまざまですが、のもとで収集し、分析整理し、利用しなければなりません。記事の場合は目的が、政治的扇動であったりしてはいけませんが、読者は記事をもとに何らかの行動を起こしているはずです。
情報の扱いに鈍感な日本、9・11以降は過剰なまでに敏感な米国。この違いはいったい何か、考えてほしい、ということで終わりました。
私の情報の定義は、
「知ったり知らせたりすることで、何らかの得をするためのモノ」
ですね。
かなり大雑把ですが、たいていはその定義があてはまります。
「データ、事実、指示、文章」だけでなく、
音・画像・図表・数式なども立派な情報ですね。
投稿情報: | 2005年4 月21日 (木曜日) 18:37