今年もあと一日。この一年、いろいろなことがありました。災害は相変わらず。相次いだ子どもの殺害事件は痛ましい限りです。景気は回復に向かったものの、一向に暖まらないフトコロ。総選挙で大勝した自民党政治はどこに国民を連れて行くのか、不安ばかりがふくらんだ年でした。
個人的には大学でメディアを講義するはめになり、悪戦苦闘しました。学生たちのメディアに対する厳しい目には正直驚きました。厳しいといっても、何がどうおかしいのか、具体的指摘はあまりないのですが、若者特有の親に対する不信感のようなものといってもいいかもしれません。親のすねはかじっていたい。けれども親のいうことには従いたくない。世間を知るには親より便利なインターネットがあるさ、と思いつつも、それをどう人生に生かすのか、となるとまだ心もとない。若さゆえの悩みは昔と同じようです。
学生たちのメディアへの接触時間をアンケートしてみました。インターネットがもっとも長く、ついで携帯、音楽プレーヤーが続きます。新聞への接触時間はなんと一日13分でした。若者の新聞離れはここまで進んでいるのです。かといってもっとも信頼できるメディアは何かという問いでは、新聞がトップになります。新聞への期待と現実のギャップに学生たちはとまどっているようにも見えます。
かつて学生は時代の批判精神を外に向かって表したものでした。学生運動がその最たるものですが、現代の学生たちは半数以上が個人でblogを持っています。必ずしも社会批判を展開しているわけではないですが、自己表現の一環だといえます。
今時の若者は、昔と変わりはないのです。若者に少しでも刺激を与え、社会を健全に保つための批判精神を身につけてもらいたい。そんな期待を胸に新年を迎えたいと思っています。
こんばんは、犬笠銀次郎です。
記者クラブの下で権益を守られていて、批判精神を失いつつある新聞を若年世代が支持しなくなったのは良い傾向だと思います。確かに若年世代はかつての学生運動のような勢力は持たなくはなりましたが、その代わりに、当時のようなムラ的な共同体性から開放されるようにもなりました。
私は自身の特異な経歴から、人をあるキャテゴリーに押し込めるのをあまり好まない立場ですが、各世代毎に特徴が変わるのは、戦後の日本の歴史を概観すれば無理もないことで、大事なことは、その特徴ごとに合わせて政治へコミットメントする方法を考えることではないかと思うのですが、いかがでしょう。
それでは、失礼します。
投稿情報: 犬笠銀次郎 | 2005年12 月30日 (金曜日) 23:26