朝日新聞が一面で「ウエブが変える」という連載をしている。第1回のテーマはwikipediaとSNSだった。2回目がグーグル、3回目がウイニー、4回目の今日はロングテールだった。何か新しい情報があるかと期待して読んだが何もなかった。世間の人はwikipediaもグーグルもウイニーも知らないと思っているのだろうか。
新聞社が知らないことがニュースであるとよく皮肉られるが、まさにそれに当たる。ロングテールがやや目新しいがこれも書籍が何冊も出版されている。グーグルにいたっては先週テレビのバラエティー番組タモリ倶楽部が本社から実況中継していた。ニュースを追うことが新聞の仕事だが、旧聞に過ぎないことを堂々と一面で連載するのは、新聞社がITに関しては、周回遅れのランナーになったことを示してある。
速報では電子媒体に負ける新聞が生き残るには、解説、評論機能の強化しかない、といわれる中で、この連載が解説としても文化評論としても新味がないと感じるのは私だけだろうか。
web2.0という言葉は嫌いだが、いまウエブが変わりつつあるのは確かだ。ウエブ自身が知能というべき機能を持ち始め、相互にコミュニケーションできる時代になることが期待されている。進歩した検索機能と連動して、ネットが新たな知的進化を遂げつつある。
その意味では「ウエブが変わる」時代なのだ。「ウエブが変える」というタイトルそのものが時代錯誤ではないのか。
ウエブが変えるという発想は、e-japanと同じ発想である。ネットを利用すれば行政や企業の組織を効率化でき、小さな政府、便利な社会、無駄のない社会ができるという考え方だ。ネットはドッグイヤーで進化するといわれる。その計算でいえば、連載「ウエブが変える」もe-japanも一昔前のテーマである。旧聞に属するテーマを恥ずかしげもなく連載する新聞社は旧聞社に名称変更したほうがいい。
交友関係が狭い方は、自分の知っている世界を全てと思いがちですが、そうでは無いわけです。「逆・井の中の蛙」とでも、言いましょうか。グーグルもWikipediaも名前くらいしか知らない方が多数いることは、事実として知っておいた方が良いかと思います。
たとえば、Wikipediaや政府系機関がGoogle八分されていることについて問題視しようとしても、Wikipediaの重要性やGoogleの影響力から説明していてはきりがありません。また、「国産検索エンジンの重要性」についても、それらを知らなければ全く理解できないでしょう。
そう言う意味で、「ウエブが変える」は字面をそのまま受け取るのではなく、「ウェブの問題は、一部の人の物では無くなってきた」と言うことの布石ととるべきかと思います。
投稿情報: Beyond | 2006年8 月 1日 (火曜日) 08:41