薬害エイズ裁判で最高裁が元厚生省生物製剤課長の上告を棄却、同課長の過失責任を認めた。官僚としてやるべきことをしなかった責任、法律用語でいう不作為の作為が認められた。分かりやすくいえば、官僚の職務怠慢が罪になるということである。刑は禁固1年執行猶予2年だから、元課長が監獄に入るわけではない。それでも薬事行政の過失がその職にある官僚個人の責任として問われたのは画期的である。
朝日新聞によると、同課長は「厚生省の代わりに行政の責任が問われたのか、個人の責任が問われたのかはっきりしていない」と漏らしていたそうだが、官僚の本音であることは間違いない。組織でやったことなのに、なぜ個人の責任なのかという思いなのだろう。
官僚個人の責任を問わないと同じ過失が繰り返される恐れがある。C型肝炎訴訟では官僚個人の責任が追及されないまま、国が莫大な補償金を払って解決した。国が払う補償金は元をただせば税金である。親方日の丸ならぬ、親方税金なのだから、薬事行政つまり国は痛くもかゆくもない。やはりその任にあった官僚個人の責任を追及し、責任があるなら監獄に入ってもらわねばならない。行政などの組織は監獄に入れないのだから。
消えた年金にしろ、道路特定財源の無駄遣いにしろ、なかなか官僚個人にまで責任追及の手が及ばない。せいぜい退職金の返納くらいでお茶を濁されてしまう。
今回個人の責任が追及されたのは画期的といえるが、司直の手が入ってやっと官僚個人の責任にたどり着いた。司直の手を借りないで、官僚個人の責任を追及できるようにしないと、役人天国ニッポン、税金ドロボー的官僚ははいつまでもなくならない。そういえば年金保険料をちょろまかした末端の役人は告訴された。しかし、年金問題を放置した上級官僚はまだ告訴されていない。
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