12日でJAL123便墜落事故から25年がたった。もう25年。ついこの間の出来事のように思える。家族に早く会いたいがため、あの便にキャンセル待ちで乗った不運な人もいた。私はあの便にほぼ隔週で乗っていた。なぜあの日に乗らなかったのか。
123便は土曜の夕刻、羽田をたち、1時間ほどで大阪伊丹に着く便である。この便に乗ると大阪で彼女と夕食がとれる。1泊して日曜の最終便に乗れば、まる24時間一緒にいられる。
当時週休2日はまだ定着していなかった。多くの企業で土曜は半休だった。亡くなった方の多くが普通のサラリーマンだった。私も土曜の夕刊勤務を済ませてから乗った。私と彼女は隔週で東京と大阪を行ったり来たりしていた。だから私があの123便に乗っていた確率は2分の1である。
だが、あの週だけは大阪に行かなかった。記者クラブでぼんやりテレビを見ていた。午後6時か7時ごろ、123便の機影が消えたというテロップが流れた。一瞬ドキッとした。そして520人が亡くなった。
なぜ123便に乗らなかったのか。あの日の数日前彼女とケンカしていたからだ。ケンカの理由は覚えていない。「じゃあ今週は来ないのね」と彼女。「ああ行かないよ」と私。運命の分かれ道はケンカだった。
彼女とはよくケンカした。でもすぐに仲直りできた。彼女との関係は10年以上続いたが、遠距離恋愛は結局実らなかった。あの日が別れのターニングポイントだった気がする。
今でも彼女とは時々電話で話すことがある。もうケンカはしないが、彼女の優しさ気の強さは当時と何も変わっていない。
123便は土曜の夕刻、羽田をたち、1時間ほどで大阪伊丹に着く便である。この便に乗ると大阪で彼女と夕食がとれる。1泊して日曜の最終便に乗れば、まる24時間一緒にいられる。
当時週休2日はまだ定着していなかった。多くの企業で土曜は半休だった。亡くなった方の多くが普通のサラリーマンだった。私も土曜の夕刊勤務を済ませてから乗った。私と彼女は隔週で東京と大阪を行ったり来たりしていた。だから私があの123便に乗っていた確率は2分の1である。
だが、あの週だけは大阪に行かなかった。記者クラブでぼんやりテレビを見ていた。午後6時か7時ごろ、123便の機影が消えたというテロップが流れた。一瞬ドキッとした。そして520人が亡くなった。
なぜ123便に乗らなかったのか。あの日の数日前彼女とケンカしていたからだ。ケンカの理由は覚えていない。「じゃあ今週は来ないのね」と彼女。「ああ行かないよ」と私。運命の分かれ道はケンカだった。
彼女とはよくケンカした。でもすぐに仲直りできた。彼女との関係は10年以上続いたが、遠距離恋愛は結局実らなかった。あの日が別れのターニングポイントだった気がする。
今でも彼女とは時々電話で話すことがある。もうケンカはしないが、彼女の優しさ気の強さは当時と何も変わっていない。
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