小型で安上がりをうたい文句にしたJAXAのイプシロンロケット1号機が打ち上げ中止になった。昨夜まで、テレビニュースや科学番組でイプシロンのさまざまな特徴が紹介されていた。担当者は自信満々だった。それを見ていて心配だった。なぜそんなに自信が持てるのか。H2ロケットの補助ロケットを利用しているとはいっても、初号機である。予定通り打ち上げるのはやさしくはない。担当者の自信満々の言葉が不安の裏返しのように聞こえた。新しい科学技術に過剰な自信を持つのは科学的とは思えなかった。
発射場は内之浦。同じ内之浦で1980年ころ、私はラムダロケットの打ち上げを取材した。当時の内之浦は東大宇宙研の発射場。宇宙開発事業団と合併するはるか前だった。
その時も打ち上げは予定通りいかずに何度か延期された。帰京してまた内之浦まで取材にくる時間はない。しかたなく現地で1週間ほど待機した。
ロケット関係企業の担当者も現地にいた。彼らと毎晩、酒を飲みながら宇宙談義を交わした。当時の日本のロケット産業は、味噌醤油産業と同じくらいの規模だと知った。
内之浦の位置は大隅半島の太平洋側。近くに遊ぶ場所、観光する場所もない。ただ自衛隊の鹿屋基地があった。戦時中は特攻隊が出撃した基地である。中曽根首相が列島浮沈空母発言があったころだ。九州からフィリピン近海まで対潜哨戒機を飛ばしていた。
その基地を見学した。自衛官はまだアナログの管制機器しか与えられていなかった。偵察衛星を持てばいいじゃないですか。私がそう話したら、「そんなこと朝日の記者さんがいってはいけない」とたしなめられた。それくらい宇宙は自衛隊にとってタブーだった。宇宙産業が味噌醤油産業と同じ規模だということをその時実感した。
毎晩焼酎を飲んで過ごした。1週間過ぎても打ち上がらない。仕方なく帰京した。新しい科学技術は信頼性に劣り、日本の防衛力は旧型の機器ばかりに依存していた。
発射場は内之浦。同じ内之浦で1980年ころ、私はラムダロケットの打ち上げを取材した。当時の内之浦は東大宇宙研の発射場。宇宙開発事業団と合併するはるか前だった。
その時も打ち上げは予定通りいかずに何度か延期された。帰京してまた内之浦まで取材にくる時間はない。しかたなく現地で1週間ほど待機した。
ロケット関係企業の担当者も現地にいた。彼らと毎晩、酒を飲みながら宇宙談義を交わした。当時の日本のロケット産業は、味噌醤油産業と同じくらいの規模だと知った。
内之浦の位置は大隅半島の太平洋側。近くに遊ぶ場所、観光する場所もない。ただ自衛隊の鹿屋基地があった。戦時中は特攻隊が出撃した基地である。中曽根首相が列島浮沈空母発言があったころだ。九州からフィリピン近海まで対潜哨戒機を飛ばしていた。
その基地を見学した。自衛官はまだアナログの管制機器しか与えられていなかった。偵察衛星を持てばいいじゃないですか。私がそう話したら、「そんなこと朝日の記者さんがいってはいけない」とたしなめられた。それくらい宇宙は自衛隊にとってタブーだった。宇宙産業が味噌醤油産業と同じ規模だということをその時実感した。
毎晩焼酎を飲んで過ごした。1週間過ぎても打ち上がらない。仕方なく帰京した。新しい科学技術は信頼性に劣り、日本の防衛力は旧型の機器ばかりに依存していた。
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