オリンピック野球日本代表の監督、長嶋さんが監督としてアテネに行くことを断念した。医師団の指示に従ったのだが、賢明な判断だった。しかし、代表がアテネへ出発する直前まで決断できなかったのはなぜなのか、不思議でならない。
私の父も実は長嶋さんと同じ脳梗塞を患い、リハビリの甲斐なく、亡くなった。リハビリ中の父を海外に連れて行くことなどできることではなかった。長嶋が倒れた時から、オリンピックは無理だと思っていた。
長嶋監督のもとで闘いたい、という国民の期待の大きさが決断を長引かせたのだろうか。医師団はオリンピックまでには快復させることが可能だと判断していたのだろうか。
どちらなのか、は分からない。だが、国民の期待を裏切れないから、判断を遅らせたとしたら、医師団は医師としての客観性を欠いた、というしかない。
結局、野球代表は監督抜きで闘うことになった。リーダーなしで闘うことができるのか、はなはだ疑問である。監督代行の中畑がチームをまとめることができるのだろうか。一匹狼の集団が代表チームである。だからこそチームをまとめる核が必要である。
長嶋監督の写真をベンチに掲げて闘うのだろうか。長嶋に代わる監督は球界にいなかったのだろうか。
そもそも長嶋を代えることがタブーだったのではないか。もし、タブーだったとしたら、球界のみならず、日本社会は客観的に判断する能力を失ったことになる。客観的判断ができない社会は戦前の社会と同じである。
初めまして。係長3号です。
私は長嶋フリークですが、長嶋監督には、ゆっくりと静養をして頂きたいですね。
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読売巨人軍:長嶋茂雄のコレクション
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投稿情報: 係長3号 | 2007年1 月23日 (火曜日) 12:36
古い記事で恐縮ですが、今回過去記事を調べていて初めて読みましたので、返事するしだいです。
当時、私は一般的な知識として、脳梗塞について知っていましたので、当時倒れられてから、監督業は無理だと思っていました。貴殿の書かれていたと丁度同じようなことを思っていました。
あれから2年近くが経過しましたが、一般大衆の中に入り、会話したり、討論できるまで、回復してないし、なお、リハビリ中なのに、今回、長船委員長の談話:北京五輪監督に想定されていることを知り、びっくりしたものです。
今回、本記事を読んで改めて、このストリー通リに(例えば、成績、それから写真を掲げて戦うなど)進行したことです。
しかし、もっと恐ろしいことは最後の行でした。<そもそも長嶋を代えることがタブーだったのではないか。もし、タブーだったとしたら、球界のみならず、日本社会は客観的に判断する能力を失ったことになる。客観的判断ができない社会は戦前の社会と同じである。>なぜなら、小学生のとき終戦を迎えた私は、竹ヤリで訓練する青年団を見て、これは負けると思った。しかし、負けるという言葉は決して使ってならないタブーであった。
まだ完全に治癒してなくリハビリー中なのに、また再発の可能性の高い病気なのに、72歳になってまで過酷な監督業をさせるということは、どう考えても正常な考えではあり得ないと思う。日本社会が客観的判断の能力を失いつつあるような気がした。
そこで、ヤフーで掲示板を立ち上げたら、結構、皆さん真剣に考えてくださり、巨人や長嶋フアンだった方々からも、もう引退され、療養に専念された方が良いという意見が多く、野球フアンレベルは健全であると安心したしだいです。
私が心配しているのはフアンより上部のどこかにあるのではないかと思った。
投稿情報: sakuravillage2 | 2006年6 月21日 (水曜日) 17:35