NTT西日本の副社長を務め、体調を壊して顧問に退いていた武内道雄さんが10月23日に亡くなった。
昭和19年生まれで、私と同い年だったから、彼の突然の死は私にもショックだった。
彼が広報部長時代、銀座コリドー街の鹿児島料理屋でよく飲んだ。体調を崩した時、しばしば私が飲み歩きに連れ出したからではないか、という人がいた。連れ出したといっても1ヶ月に1回くらいだから、それは冗談だと思うが、彼の死を早めたのは明らかに働きすぎだと思っている。飲んでいてもいつも仕事の話ばかりで、お酒を楽しんでいる風はなかった。
彼が広報部長になってしばらくたった時、こんなことを言っていた。
世の中には広報部長になると、がっかりする人、気の毒がられる人がけっこういるんですね。社会に対しての言い訳やら、メディアから事実を隠すことが主な仕事だと思っているからでしょうね。情報は知ってもらって何ぼの世界。隠したり、言い訳したりすることが広報じゃない。
それまで広報の経験がないのに、この人はよく分かっているな、と思った記憶がある。この話はその後、よく講演などで使わせてもらった。当時、日本のITは、料金が高くて、速度が遅くて、便利なサービスがない、などの理由で、世界から周回遅れのランナーだと思われていた。それはNTTが市内網を独占しているからだ、という批判が各方面から浴びせられていた。言い訳しなければならない事態もけっこうあったと思うが、広報部長の彼はあまりいい訳はしなかった。事実はこうですよ、という話か、IT時代の制度の在り方はどうあるべきか、という話ばかりで、彼との酒の席は終始した。
広報部長を6年ほど務めた後、彼はOCN事業部長になった。DSLに市内網を開放するかどうかが問題になっていた。世間はだれもNTTが開放するはずがない、と思っていたが、私は必ず開放すると思っていた。ようやく世間の関心が高まってきた時、私の質問に、彼は「必ず開放する。社内調整が済んでいないから、時期はまだいえない」と答えてくれた。私のNTTドライカッパー開放のニュースは、ベタ記事だったが、DSL関係者からはこの記事はホントか、と信じてもらえなかった。
私の質問に即答できないと、彼は一人で社内を駆け回り情報を集め、解説してくれた。それが彼のやり方だった。だから体調を崩したのではないか、と疑っている。もっとうまく部下を使えばよかったのに、とさえ思った。
NTTはいまだ世間から誤解を受けることがある。独占体質が残っているところも確かにある。巨大すぎて、競争相手がいまだにかなわない部分がある。
そういう時代、彼がいなくなることはNTTのみならず、日本のITにとって損失である。知ってもらって何ぼの世界はいまだに続いているからである。
相手がなかなか誤解を解いてくれなかったり、理解してくれなかったりした時、私もそうだが、もういいや、とあきらめてしまうことが多い。でも彼は違った。知ってもらうことに、命をすり減らしてしまったのかもしれない。
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