国旗、国歌訴訟でようやくまともな判決が出た。判事の中には良心を持っている人がまだいることにほっとした。東京地裁の難波孝一裁判長の名前は記憶するに値する。
国旗、国歌に違和感を持つ人はいまでも少なくない。国旗、国歌でなくとも、教師であろうと一般人だろうと、嫌なものを強制されたら異議申し立てるのは当然の権利だ。
まして他人に迷惑をかけない形での異議申し立てなら、それを教師という理由だけで処罰の対象にするなら、処分する方が明らかにおかしい。
権力や権威に対して、異議申し立てる教師の姿を生徒に見せることは、大いに教育的効果があるはずだ。寄らば大樹の陰、長いものにはまかれろ式の、ものいわぬ若者が多くなったこのごろ、正当な異議申し立てをする教師は貴重な存在である。民主主義社会では、どこまで異議申し立てをしていいのか、実地教育になるのだから。
私もかつて権力の乱用について、訴訟を考えたことがある。しかし、弁護士から訴訟する価値はあるが、負けるよ、といわれた。理由を聞くと、権力にたてつく裁判官はもういないから、だという。
確かに違憲判決など10年に1回も出ないし、政府や行政側に立った判決が相次いでいる。三権分立など絵に描いた餅でしかない、と感じる時代が続いていた。
ものいわぬ市民、権力にたてつかない裁判所、企業のいいなりのサラリーマン。こうした雰囲気が日本社会の活力を失わせている面がある。正当な異議申し立て、少数意見が尊重される社会こそ、美しくて住みやすい、健全で活力ある日本の源泉になる、と思うのだが。
それで教育が成り立つんですかね?
教師「授業中にケータイで電話するな!」
生徒「先生!それは思想信条の自由の侵害です。」
、、、これで教師は何て反論するんですか?
>嫌なものを強制されたら異議申し立てるのは当然の権利だ。
「思想信条の自由」はあるけど、仕事なんだから行動に
制約を受けるのは当然では?
嫌なら教師辞めていただいて結構。
辞める自由はありますよ。
こんな教師に教えられる子供がかわいそうですよ。
投稿情報: hideta | 2006年9 月24日 (日曜日) 03:04