教育再生会議のタウンミーティング(TM)で文科省がやらせ質問を工作していた。国民との対話を目的にしたTMの趣旨に反する行為であり、民主主義の根幹にかかわる問題である。
しかし、文科省の官僚がやらせ質問を工作したくなった気持ちはよく分かる。日本人は質問しない国民なのだから、民主主義の体裁を整えるためにやらせを仕掛けるしかない、と考えても不思議ではない。講演会で講師が会場から質問を受け付けても、ほとんど質問が出ないという光景はよくある。手が上がったと思ったら、質問ではなく、自らの見解を長々と述べる人だったなんてこともある。大学の講義で質問はあるか、と尋ねても学生の手は上がらない。他の教授に聞いても事情は同じだ。
なぜ質問しないのか、学生に質問してみた。みんなの前で発言することが恥ずかしいから、というのだ。ではメールなら恥ずかしくなかろうとメールで質問を受け付けることにした。出欠をとる代わりに質問を出すことにした。するとたくさん質問が出る。答える方は大変である。質問は他の学生も読めるようにしている。恥ずかしいから質問しないのではない。質問する習慣がないのだ。
学生がどんな質問をするかで学生の理解度が分かる。質問しない学生の理解度はなかなか上がらない。質問する学生はどんどん伸びる。質問は教育効果を上げる早道なのだ。やらせ質問をさせても理解度が上がるはずはない。
つまり質問する習慣をつけさせることが教育再生の早道だといってもいい。質問しやすい環境を整えることである。教育再生会議のTMでやらせ質問が出たこと自体、教育再生に逆行する考え方である。笑ってはいられない。
物言えば唇寒し秋の風
投稿情報: 松尾芭蕉 | 2007年2 月10日 (土曜日) 21:19
「出る杭は打たれる」という、日本の「風潮」というか「文化!?」みたいなものが作用しているのではないでしょうか。
投稿情報: のーと | 2007年1 月28日 (日曜日) 11:54
質問しない方が「得だった」・「損しなかった」という経験を多く持つ人は質問しなくなると思うので、日本人の多くは質問することは「得でない」、「損だ」と思っているのではないでしょうか。
投稿情報: | 2006年12 月 3日 (日曜日) 10:20
質問しないのは「人前で質問することが恥ずかしい」というより、実は「人と違うことをするのが恥ずかしい」ように思います。
質問してみたら自分だけだったとなるのが恥ずかしい。だから、誰かが質問すると次の人はずっと質問しやすくなる。
投稿情報: 二条 盛戸 | 2006年11 月14日 (火曜日) 11:01
質問しない習性を利用して悪事を働いたというのが正しいでしょうね。自説に添った発言ばかりさせているのだから「民主主義の体裁を整えるために」というのは無理でしょう。
投稿情報: とまと | 2006年11 月13日 (月曜日) 10:05