今年も成人式で騒いだ若者がいた。つまらないお偉方のあいさつにブーイングしたくなる気持ちは分かる。だからといって乱暴狼藉が許されるわけではない。騒いだ男の姿は羽織袴だった。晴れ着をみなに見せたかったのだろうか。式が嫌なら出席しなければいいのに、と思うのはこちらの勝手な思い過ごしらしい。
ん十年前の自分の成人の日。私は友人の引っ越し作業を手伝っていた。友人は式に出なくていいのか、と案じてくれたが、成人式に出席する意味を見いだせないから、出ないだけだと答えた。家族も式に出ろ、とはいわなかった。もちろん晴れ着なぞなかった。
成人式にどれほどの意味があるのか、今でも理解できない。女性には晴れ着を親にねだる口実がある。だが、当日以外ではほとんど着る機会のない晴れ着は無駄な出費である。親から子へ、子から孫へと伝統の和服が伝えられていくのならいいが、そうとも見受けられない。
成人式は昔の元服の儀式を踏襲しているのだろう。元服すると武家の子どもは前髪を落とし月代をそって、ちょんまげを結い、真剣を帯刀した。15歳くらいで元服したといわれる。元服後はだれが見ても一人前の武士の姿になるわけで、成人としての意識を強烈に植え付けられたであろう。
現代の元服である成人式はそうした成人への意識を植え付ける儀式になっているだろうか。ディズニーランドの成人式が人気だそうだが、成人式がお楽しみのパーティーでしかない証拠である。あるいは地元政治家の集票のための行事に堕していないだろうか。
いっそのこと成人式に出ないと選挙権を与えない。その代わり選挙に関連する人物は式に出席させない。そんな厳粛な儀式にしないと若者に成人としての意識は生まれないのではないか。
はじめまして。
成人式については私も似たような意見を持っております。
成人式に出席する意味を見出すことが出来なかった7年前。私も家庭教師のバイトをしていました。
遠居で公立中学に通っていた私には、地元というものが無く、中学の同窓会になる成人式に出る意味を見出せませんでした。私立に通っていた友人も同じでした。
今や、成人式はただの同窓会になっている気がします。なぜそのようなものに国がお金を出す必要があるのか甚だ疑問です。
私は戦争で肉親を亡くし、祝ってもらうことが出来ない人のために国が祝ってあげるということで始まったという話を聞いたことがあります。(真偽は分かりませんが)
まったく必要ないとは言いませんが、今の形を変える必要はあると思います。
そして、毎年新成人の乱痴気騒ぎをみると怒りを通り越して、悲しくなってしまいます。
そうは思いつつも何も出来ていない自分も悲しく思ってしまいますが・・・
長文失礼いたしまた。
投稿情報: 高野元 | 2007年1 月12日 (金曜日) 09:08