ガンを患って以来、投稿が少なくなったせいか、わがブログへのアクセスが低迷していた。田母神論文を読んで、という投稿をしたら、アクセスがそれ以前の10倍以上に跳ね上がった。コメントも多く寄せられた。この問題への関心の高さを物語っている。
田母神問題には近現代史の歴史認識と文民統制の問題がある。どちらもあいまいなまま放置してきた点に問題の深さを感じる。
しかし、多くの反響は論文の内容が史実に沿っているかどうかに集中し、文民統制の問題は政府や国会の論議に任せきりになっている。日本は侵略国家ではない。戦争に引きずり込まれた被害者であるという田母神氏の論旨に賛同する意見がここまで浸透していることに驚かされた。
私は歴史家ではないし、戦争体験もない。焼け野原で育った戦中派だが、戦争にはそれなりの関心を払ってきた。先日学生にこんな質問をしてみた。3月10日、9月2日、12月8日はそれぞれ何の記念日か。きょとんとする学生が多い。東京大空襲、降伏文書調印の日、開戦記念日と正解する学生もたくさんいるが、12月8日は知らないという学生が約半数いた。それだけ先の戦争は霧のかなたにかすんでいる。
学生にとっては祖父祖母の世代が戦争体験世代である。その世代も多くが他界している。亡くなられる前に聞くべきことは聞いておけ、孫のあなたたちなら話してもらえるぞ、といっておいた。もちろん私の親父も中国戦線に従軍している。ただ親父は輜重輸卒といって後方の仕事だったから最前線で何があったかは語れなかった。戦後わが家に集まってくる親父の戦友の中には、中国人を何人斬ったと自慢話をする人もいた。
それにしても学校教育の中で先の戦争について学習した記憶がない。私の戦争学習は親父の戦友の個人的体験、成長してからの独学といっていい。高校の日本史は選択科目で受験は世界史をとったからなおさら勉強する機会がなかった。今では教科書にも載っている沖縄の集団自決を知ったのはそれこそ新聞記者になってからのことである。
学生の中に沖縄出身者がいた。沖縄では牛島中将が割腹し組織的戦闘が終わった6月23日が慰霊の日と定められ、学校で戦争について学習しているのに、本土は終戦記念日が夏休み中の8月15日だからあまり勉強しないのですか。こう質問されて返答に窮した。
いま学校でどこまで戦争について学習しているのかは知らない。想像するに私の子ども時代とそう変わらない程度の学習しかしていないのではないか。ちゃんと学習していたら、日本が侵略国家ではない、戦争に引きずり込まれた被害者である、などという論文を支持する風潮がここまで広がるはずがない。
>諒様
お気づきでないと思われるので一言。
死を悼むという行為は、その死に価値をみいだそうとするものです。
戦死された軍人方と、戦災で亡くなられた方とで、その価値にどのような違いがあるのですか?
あの戦争で亡くなった方々はすべて犬死なのですか?
誰かの死を悼むことができるが、確たる理由も無いのに別の誰かの死は悼めない。
それは差別です。
軍人を「嫌う」のは結構です。
ですが、「差別」となると別問題です。
田母神問題の根っこもそこにあるのではないでしょうか。
上記のような主張をされるなら、日本兵の死を悼めない理由も併記されるべきです。
投稿情報: 親展 | 2008年11 月25日 (火曜日) 23:04
70年安保世代の者です。
高校の日本史の最後の授業は「第二次大戦で死んだ日本兵は犬死にだったのか否かについて議論せよ」というものでした。
彼等は犬死にだったという意見が大勢を占めた時、学徒動員世代の教師は悔しそうな顔をして『きけわだつみの声』の一節を朗読しました。
BC級戦犯として処刑された人の手記でした。読み終えて「それでも君たちは彼等が犬死にだったと言うのか」と言い、『ああ玉杯に花うけて』を歌って最後の授業を終えました。
教師の気持ちも解らないでも無かったのですが、情で迫られても結論を変えるには至りませんでした。
投稿情報: 諒 | 2008年11 月20日 (木曜日) 05:29
団塊Jrの親展です。
>私の戦争学習は親父の戦友の個人的体験、成長してからの独学といっていい。
現在ここに訪問している人間はある意味、皆そうなのではないでしょうか。
私も祖父母から聞かされてきましたし、学校で殆ど習わなかったのも同様です。
やはり大学でパソコンとインターネットに触れたのが大きかったと思います。
また、外国の方とも話をしてみて、一部と大多数とで日本への評価が正反対であることも。
なにより、歴史を学ぶなかで自分がそれまで教わっていたことを検証した時の驚きは、今でも忘れません。
今までの価値観に、証拠が無いばかりか反証ばかりが存在していた、あの喪失感と怒りは忘れられません。
信じたくなくとも、よすがが何もないのです。
そして、怒りは嘘をついていた者達へ向けられるのです。
現在、私と同様な考えを持つに到った人間は、ブログ主様と同じ価値観を過去に持っていた人間が少なくは無いはずです。
私自身そうなのですから。
無邪気に日本がすべて悪いと思っていた子供の頃。
戦争は確かに悲惨なものでしょう。
ですがその悲惨さから目を背けるため「戦争は絶対悪であり理由など関係ない」と思考停止を続けた結果が、現在の歪さをもたらしているのではないでしょうか。
どんなことにも理由はあるものだと思います。
投稿情報: 親展 | 2008年11 月13日 (木曜日) 21:09