朝日新聞阪神支局襲撃犯と名乗る男の手記を載せた週刊新潮が誤報を認め謝罪した。4月23日号の「週刊新潮はこうしてニセ実行犯に騙された」を読んだ。記事を読んでもなぜ騙されたのかよく分からない。振り込め詐欺の被害者の証言「なんで騙されたのかよく分からない」と同じ種類の原稿だ。
ニセ手記連載の前から朝日の指摘を受けていたにも関わらず、一切の疑いや抗議をはねつけて連載を4回も続けた。新潮はまさに確信犯である。窓口の係員が「振り込め詐欺ではないか、確かめてみてはいかがですか」と注意喚起しているにも関わらず、間違いない、ウソでもいいから、と振り込んでしまう詐欺被害者とよく似ている。
何とか孫の窮状を救ってやりたいという詐欺被害者の心情は「何とか特ダネであって欲しい」という週刊新潮編集部の心情と似ている。多少の疑いや裏づけ不足であってももっと大きい報道目的があるのだから、それでいいと思っているのだろう。
今回のお詫び記事で気になる部分がある。誤報であることは認めておいて、証言内容は捏造ではないといっていること。報道機関は誤報から100%免れることは不可能である、と書いている点である。
メディアを利用して自らの邪な欲望を遂げようとする輩はいつも存在する。しかし、メディアが騙されたのは仕方なかったといっては、だれが報道機関を信用するだろうか。間違ったら責任を取らねばならない。今回の事件で編集長の辞任どころか新潮社内でだれも責任を取っていないのが不思議だ。
日本テレビのバン記者誤報問題も垂れ込みをそのまま信じ込んだ、裏とり取材ができなかった編集部の大失態である。それで日本テレビの久保社長は辞任した。今回の事件も編集長の更迭、社長辞任に発展して当然の事件である。基本的取材能力がないことを天下にさらすことになっただけでなく、誤報してもだれひとり責任さえ取らないメディアはもうメディアとはいえない。
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