新聞とテレビで公開された刑場を見た。予想以上でも以下でもなかった。ドラマや映画に出てくる刑場もそうだが、現実の刑場はそっけないというかシンプルな印象を受けた。刑場を公開することで、死刑制度を考えるきっかけにしたいと、法務大臣は語っていたけれど、死刑制度への自分の考えが影響されたとは感じなかった。これが死刑制度の賛否を議論するきっかけになるのだろうか。
死刑囚を吊るすために床をはずすボタンが3つあることは知らなかった。刑務官の心理的重圧を軽減するためと思われるが、かつて銃殺刑があった時、射撃手一人だけに実弾ではなく空砲を渡したのとよく似ている。
死刑制度には賛成でも反対でもない。身内が犯罪で殺されたりしたら死刑制度賛成になるかもしれない。逆に身内に死刑囚が出たら反対するかもしれない。現在の司法制度のもとで繰り返される冤罪のことを考えると、死刑には慎重にならざるをえない。この問題について宗教上の指針というか教えは個人的にはない。納税者の立場からすると、死刑囚を長く収監しておくことは税金の無駄遣いだから早く執行してほしいと思う。自分をどの立場に置くかで結論は変わる。多くの国民も同じではないだろうか。
それなのに、各種世論調査では死刑制度賛成が8割を超えるそうだ。ホントにそうなのか、いつも不思議に感じている。
刑場がシンプルに見えたからといって、どの立場をとればいいか考える参考にはならない。社会の安定安寧のため?治安維持のために死刑存続?だったら警察力を充実させ、捜査能力を上げる方が現実的だ。いやその方が税金はたくさん必要か。だとすれば死刑は安上がりな治安対策か。死刑制度がなくなっても冤罪が減るとは限らない。死刑制度より司法の質の問題だ。被害者遺族の復讐の念を晴らすため死刑を存続?自分が被害者遺族だったら、自分で死刑囚の首を斬りたいくらいだ。できるわけないけど。
考えても、ただあちこちするだけで結論は出ない。
死刑囚を吊るすために床をはずすボタンが3つあることは知らなかった。刑務官の心理的重圧を軽減するためと思われるが、かつて銃殺刑があった時、射撃手一人だけに実弾ではなく空砲を渡したのとよく似ている。
死刑制度には賛成でも反対でもない。身内が犯罪で殺されたりしたら死刑制度賛成になるかもしれない。逆に身内に死刑囚が出たら反対するかもしれない。現在の司法制度のもとで繰り返される冤罪のことを考えると、死刑には慎重にならざるをえない。この問題について宗教上の指針というか教えは個人的にはない。納税者の立場からすると、死刑囚を長く収監しておくことは税金の無駄遣いだから早く執行してほしいと思う。自分をどの立場に置くかで結論は変わる。多くの国民も同じではないだろうか。
それなのに、各種世論調査では死刑制度賛成が8割を超えるそうだ。ホントにそうなのか、いつも不思議に感じている。
刑場がシンプルに見えたからといって、どの立場をとればいいか考える参考にはならない。社会の安定安寧のため?治安維持のために死刑存続?だったら警察力を充実させ、捜査能力を上げる方が現実的だ。いやその方が税金はたくさん必要か。だとすれば死刑は安上がりな治安対策か。死刑制度がなくなっても冤罪が減るとは限らない。死刑制度より司法の質の問題だ。被害者遺族の復讐の念を晴らすため死刑を存続?自分が被害者遺族だったら、自分で死刑囚の首を斬りたいくらいだ。できるわけないけど。
考えても、ただあちこちするだけで結論は出ない。
「刑場を公開することで、死刑制度を考えるきっかけにしたいと」ということはそれをしないと考える人がいない、ということの裏がいしに思えます。あたかも大衆が真実を知っているとでも言うように大衆に訴えてことを運ぼうとする傾向がこの国の現状にあるきがしますが、それは広い意味でこの国に責任ある立場の専門家がきちんと仕事をしていないからだと僕は思います。
投稿情報: 山田博英 | 2010年8 月28日 (土曜日) 15:19