今朝の新聞は、東電が発表した原発事故処理工程表を受けて、事故の収束の見通しを報じていた。この事故の終わりは収束なのか終息なのか、どちらなのだろうか。
私はずっと終息を使ってきた。まるで疫病の終息を待つ気分に似ていたからだ。収束は「ストが収束する」などの場合に使われる。混乱が収まるという意味で使っているのだろう。終息は能動的な意味合いが少なく、自然に終息するなど受身的表現だ。収束には人間の意図が含まれるので、東電や政府はこちらを用いたいのだろう。
もちろん原発事故を終わらせるのは人間の意図、努力が必要だから収束を使ってもいいが、原発事故は人間の意図通りに終わらない。
今回の大地震の余震はいつ終息するのだろう。こういう時は終息だ。収束ではない。原発被災者から見れば、やはり原発事故の終わりは終息ではないか。被災者の気持ちに立つと収束は使えない。今後も私は終息を使うことにする。
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