creative commons(CC)の対話meetingが市ケ谷のアルカディアであった。ローレンス・レッシグ教授が質問に答えた。
私は既存メディアがコンテンツを支配する現行著作権法はインターネットがもたらすであろう新しい社会のあり方をゆがめる恐れがあるから、一から著作権法を見直すべきだし、そのためにもCCが推進する自由な著作権管理に基本的には賛成するのだが、それでもまだいくつかの疑問を持っている。meetingに集まった参加者の多くも同じような疑問を持っていることが分かった。
最大の疑問はCCが現著作権法を否定していないこと。否定どころか、著作権法を認め、その中で妥協を探る運動を推進しているのではないか、と思えることだ。米国のレコード協会やハリウッドがCCを否定していないし、JASLACも否定していない。つまり既得権を持つ業界が賛成しないまでも否定していない、ということは、pro patentとanti patentの中間的存在といいながら、pro patentに近い存在であることは間違いない。
現行法をいったん認めると、既得権を持つ連中に対してはCCは全く無力というか効果を発揮しないし、唯一既得権を持たないインデイーズ系の連中の認知の場、販路拡大の場でしかないのではないか、と思えてくる。既存大企業がCCライセンスを近く採用する、ということが明らかにされたが、まさかハリウッドでもディズニーでもないことは確かだ。
次に疑問に思えるのは、組織内にいるクリエイターや表現者に対する保護の姿勢がないこと。現代、創造するものはほとんどが組織に属し、その環境下で制作し、創造している。ところが、CCは法人著作権を認め、組織に反してCCライセンスを主張したら、首になることは仕方がない、と考えている。これではフリーランス以外だれもCCについていけない。組織の著作権と原著作者の関係をどう整理しているのか、今日のmeetingでは何も示されなかった。
この辺がCCの最大の弱点ではないか、と思えるのだが。
んで、
レッシグとしてもそういうGPLラインなはずで・・
ギリギリなとこで、せめて新しく生まれるコンテンツは守ってこう、って感じだと思うですが・・
そういう流れって言うのは、政策介入に関する林紘一郎的見解とレッシグ的見解の分かれ目(※)に絡んでくるのかどうか・・ていうのが面白いんでしょうが・・
※コモンズを守るためにレッシグは、「司法の場で争えば公開されてるはずだから証拠残るし・・」って見解で政策介入を促すんだけど、林紘一郎とかは「日本の総務省は◎○だから・・却ってキケン」みたいなことを言って対立してるはずなんです
投稿情報: m_um_u | 2003年12 月 4日 (木曜日) 05:20
> 最大の疑問はCCが現著作権法を否定していないこと。否定どころか、著作権法を認め、その中で妥協を探る運動を推進しているのではないか、と思えることだ。米国のレコード協会やハリウッドがCCを否定していないし、JASLACも否定していない。つまり既得権を持つ業界が賛成しないまでも否定していない、ということは、pro patentとanti patentの中間的存在といいながら、pro patentに近い存在であることは間違いない。
ってことなんですが・・
これってGPLのときにも出てたギロンじゃないでしょうか?
たしかGPLと・・えーと・・ストールマン(だったかな?)の対立かなんかがあって・・
ストールマンは<既存著作権法前面反対>みたいな姿勢示すけど・・それだとあまりにも糾弾的過ぎて・・・こう・・<共産主義(?)>みたいな目で見られて、周りから引いていかれちゃうんですって・・
で、
GPLのほうは、もうちょっとゆるくして・・
「ほかのとこの著作権にはどうこう言わないけど、とりあえず自分たちのコンテンツだけは守っていこうよ(そこからはじめようよ)」って感じだった気がするんです
(今年の初めか去年あたりの(3月ぐらい)現代思想にそれ系論文ありました)
で、
ぼくはCCってのもそのラインだと思ってたんですけど・・・
まだ確認してなくて・・・
どうなんでしょうね?
投稿情報: m_um_u | 2003年12 月 4日 (木曜日) 05:12