記事の見出しには著作権がない、という判決が出た。個人的には最近の著作権の保護強化の動きには反対だが、この判決には承服しかねる。
たかが10数文字の見出しだが、それをひねり出すのは、記事本文を書くのと同等あるいはそれ以上の気力、想像力、創造力、忍耐力がいる。
週刊誌の売れ行きは、電車の中吊り広告に書かれた見出しの魅力で決まる、とさえいわれる。見出しに釣られて買ったのに、記事の中身は期待はずれだった、ということはよくある。売らんかな、で誤解を招く見出しをつけるのはいかがなものか、とは思うが、見出しを付ける方は、必死である。
こういう実態を知って、見出しに著作権はない、と判断したのか、知らずに判断したのか、よく分からないが、見出しはだれが付けても絶対同じにはならない。
この原稿に付いた見出しは「裁判官がおかしい」だが、「見出しに著作権がないって?うっそー」とか「著作権音痴の裁判官がいた」などいくらでも考えられる。その中から読者に最も分かりやすく、内容を的確に表現し、かつ字数制限に収まる最適の見出しを選択するのが、見出しを付ける整理記者の真骨頂である。
文字数の少ない簡単な表現だから創作性がないというなら、17文字しかない俳句は、創作性がないといえるのだろうか。
記事を読んで、的確な見出しを付けるロボットは、いつの日かできるとは思うが、たぶんそれは100年たっても実現することは困難だと思う。仮にそういう時代が来たら、見出しに著作権はない、という判決が出ても私は承服する。
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