「ネットは新聞を殺すのか」(青木日照、湯川鶴章著、NTT出版)を読んだ。著者の青木さんはNECの広報を担当している人で、古い知り合いである。だから取り上げるわけではないが、新聞とネットの未来はどうなるのか、ジャーナリストならずとも興味ある問題である。
本の冒頭、ネット上のジャーナリズムと既存の新聞と、2007年末時点で、どっちの影響力が大きくなるか、という賭けが行われていることが紹介されている。影響力をどういう方法で測定するのか、は分からないが、ネット側と新聞側の担当者が1000ドルを賭けている。
新聞社を退職してblogを開設した身としてはどちらにも勝ってほしいところだが、お前も賭けろといわれたら、ネットの勝利に賭けるだろう。3年後の米国では、数百万人がblogを開設し、その影響力は既存新聞を凌ぐに違いないと思うからだ。
市民ジャーナリストが支えるblogとプロのジャーナリストが書く新聞は必ずしも競合関係にあるわけではない。どちらかといえば、相互補完関係にあるといえるが、新聞側はまだその影響力を軽視しているきらいがある。新聞側が対応を誤ると、自動車輸送に負けた鉄道、パソコンに破れた汎用コンピューターと同じ運命をたどるだろう。このことは、同書の中でも触れられている。ハーバード大学のギルバート教授が、破壊的な技術革新に直面した業界がその後どのような道をたどったかを調べた結果、一定期間を経過した後、既存業界は必ず衰退過程に入る法則のようなものがある、というのである。新聞業界も例外ではない。
新聞には新聞の特質がある。紙媒体は読みやすいし、手軽だ。プロとしての訓練を受けたジャーナリストの調査報道は、一般市民にはそう簡単に真似はできないだろう。
blogの市民ジャーナリストは確かにジャーナリストとしては素人かもしれないが、それぞれみな専門を持っている。その専門分野ではプロのジャーナリストもかなわない。彼らがblogで連携したら、その力は計り知れない。
日本で同じ賭けが成立するとしたらいつごろだろうか。日本はブロードバンドでは世界最先端ではあるが、ネットの利用ではいまだし、である。3年で米国に追いつけるかどうか。2010年末で賭けろ、といわれたら、ちょっと迷う。
ネットは新聞を殺すのか、という問いにこの本は結論を出していないが、私の見る限り、新聞とネットの関係はギルバート教授がいう第3段階つまり既存業界の衰退過程に入りつつある。この10年間新聞が収益を伸ばせないのは、若者の活字離れ、新聞離れだけが背景ではない。メディア業界に破壊的技術革新が起きているからである。その認識がない新聞はネットが殺さなくても自滅していくのである。
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