オープンソースウエイ2004に今年もいってきた。日中韓OSS連携が目玉のテーマだったが、相変わらずOSSへの日本社会の無理解を嘆く声が会場の重奏低音となっていた。政府、特に経産省のバックアップがOSSへの追い風になっていることを認めながら、まだ社会から認知されないことに苛立ちを感じているようだ。
日本にOSSの技術者がいないわけではない。技術レベルもそんなに低くはない。そんな話を聞く一方で、使うだけでOSSコミュニティーへの貢献が少ない。ポーズだけの企業。OSSを理解する人材が不足している。日本のOSSは世界から隔絶され、独自の進化をとげたガラパゴス諸島のようだ、というのである。なるほどうまい表現だなと感心したが、日本をOSSのガラパゴスから抜け出させるにはどうすればいいのか、必ずしも具体策があるわけではなかった。
こういう会合で必ず出てくるのは、ハッカーの心を知ってほしい、という言葉だ。知ってほしいなら、なぜもっと自分から知ってもらう努力をしないのか。いつも私が感じることである。OSSを担う人たちは金もうけが目的ではないし、ソフトが好きで好きでたまらない連中。誤解を恐れずにいえば、人がどう思おうと自分の好きな世界に閉じこもれる人たちである。つまりオタクである。
オタクは自分の世界を他人に知ってもらう努力をしない。OSSのハッカーたちもどうも同じ傾向があるような気がする。もっと世界のOSSコミュニティーに出ていくべきだ、と主張するのはいいが、その前にもっと日本社会に出て行くこと、つまり社会に自分たちの考え方を理解させることが先決なのではないか、といつも思う。
OSSに対するメディアの報道は、政府の関与もあって最近でこそ増えてきたが、まだ正確ではないし、絶対的報道量も少ない。自分たちは社会に貢献している、金もうけをしているわけではない、心ばえは立派なのだから、理解してもらわなくても結構、社会の方が自分たちを理解すべきだ、と考えているのではないか、とさえ思える。だとすればメディアの理解も進まないのは当たり前である。メディアは社会の多くの人が関心を持つことにしか関心を示さないのだから。
打開策として政府が早くOSSを導入してほしい、という声もあるが、政府機関とて、OSSへの移行コスト、セキュリティーなどさまざまな不安要素を考慮すれば二の足を踏むのは当然だ。日中韓連携の成果が出るまでにはまだ時間がかかる。日本社会の認知が進むにはまだ時間がかかりそうだ。
数年前、リナックスを開発したリーナス・トーパルズにインタビューしたことがある。その時、彼と一緒に来日していたのが、ヘルシンキ大学の若き哲学者ヒマネン教授だった。ヒマネン教授はリーナスのハッカリズムを理論面から支えていた。21世紀を支えるソフト業の新たな職業倫理を確立しようとしているように思えた。
OSSは現代の日本経済社会の一般常識には反している。労働の結果である製品に価格がつかないのだから、理解が進まないのは当然である。それでもここまでOSSが普及してきたことは、新たな労働の価値が生まれようとしているのかもしれない。
OSSを日本で認知させるには嘆くばかりでなく、こういう理論的支柱というか、だれでも分かる言葉でOSSを語れる人を早くつくることが必要なのではないだろうか。
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