青色LED和解に中村修二さんは案の定、記者会見で100%私の負けだ、と不満を述べた。日本の裁判制度は腐っている、ともいった。庶民からは、8億円ももらって何が不満なの?と妬みそねみの対象になりかねない発言だが、あえて発言した中村さんの勇気をたたえたい。彼が国内に住居していてかつこの発言をしたら、激賞されていい。
彼の貢献度が一審では600億円、二審の和解では6億円。この差はいったい何なのか、中村さんならずともどこか変だと思う。裁判官の価値観は人によって100倍も差があるのだろうか。裁判制度が腐っている、という発言もうなずける。
かつて私も官を相手に訴訟を考えたことがある。弁護士に相談したら「やるなら憲法訴訟になる。でも負けるよ」と宣告された。裁判制度が官僚社会、企業社会にとって有利に働いているので、勝つ見込みがない、というのである。官僚制度、裁判制度を一朝一夕に変えるわけにはいかない。もっとも手っ取り早い変革の方法はメディアに訴えることだ、というのが彼の結論だった。
今回の訴訟でメディアは企業社会の安定を重視しつつ、発明者、研究者の立場も同等に報道したのはフェアだったと思うが、これから研究者、技術者の待遇改善の長い道のりが続く。
それにしても発明対価の報酬率は企業があげた利益の5%という線が判例になりつつある。なぜ5%なのか、どこにも説明がない。出版の場合、印税は平均10%である。新聞社にいる著者の場合、書き下ろしで10%、企業内の機能をどれくらい利用したかしないか、で印税の率は変わる。記事として掲載された文章をどの程度加工しているか、社の取材機能をどの程度利用したかによって、変わる。ケースバイケースで決まるがルールがないわけではない。
10%でもベストセラーになれば出版社は丸儲けになる。増刷分の追加コストが極めて安くなるからである。もちろん、印刷コスト、営業コスト、間接経費も含まれている。
工業製品の特許料も企業間で取引される時はルールがある。だが、発明した当事者との間にルールらしきものがない。青色LEDは出版でいえば、ベストセラーである。10%でも会社は丸儲けのはず。企業側は、企業の負担する開発リスク、周囲の協力、会社設備の利用など対価を絞り込む理由をいろいろあげているが、出版の場合と同様、それらのコストを入れても、丸儲けに変わりはない。
出版も100にひとつか1000にひとつくらいしかベストセラーは出ない。研究もそれくらいの確率ではなかろうか。ベストセラーがあって初めて他の多くの出版が可能になり、出版文化は成り立つ。個々の出版物の売り上げ、コストなどを編集者は一応事前にはじくが、見込み違いもけっこうある。
技術開発にもこうした考え方は通用するのではないだろうか。企業の研究開発戦略とは矛盾するだろうか。
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