虚偽のメモに基づいた記事が掲載されたことで朝日が関係者を処分した。地方支局の若い記者が政治部の求めに応じて提出したメモが、取材もしないで書かれた虚偽情報だった。30日付けのおわび記事を読んだ瞬間、起きるべきことが起きたな、と思った。
この数年、若い記者から、忙しくて時間がない、という苦情をよく耳にした。なぜそんなに忙しいのか、と聞くと、雑用が多いからだという。自分が書く記事で忙しいのではなく、今回のように上から依頼される情報収集、データ集めに相当時間が割かれるらしい。「自分の仕事ができないといって、断ればいいじゃないか」というと、「そんなこといえません。どこへ飛ばされるか・・・」というのだ。郵政法案に反対した議員が自民党から公認されず、追い出された構図とどこか似て、上役のいうことを聞かないと人事で報復される不安を抱えているのだ。
現役記者は昔から忙しいのが当たり前だった。しかし、頼まれごとで忙しかったわけではない。記事を書くため、事実を確認したり、補足のデータを取材したり、本来の業務で追われていた。本来業務でない仕事で自分の仕事がおろそかになるなら、上司に訴えればいいと思うのだが、それができない雰囲気があるらしいのだ。
私が若かったころ、難しい仕事が回ってくると先輩や同僚が手伝ってくれたものだ。その中で仕事はどう要領よくやるか、オンザジョブトレーニングで教えられた。本来業務ではない過重な仕事がきたら未熟な私に代わって上司に苦情をいってくれもした。だが、そういう雰囲気はもうない、と後輩たちは口をそろえていた。
これは危うい。そう感じていた。その心配が現実になった。今回虚偽の報告をした若者がどういう性格の人かは知らない。だが、まじめであればあるほど、余計な仕事でも責任を果たさねばならないと考え込んでいたかもしれない。
近年組織で取材するケースも増えてきた。そういう場合、一匹狼であるはずの記者が組織の歯車になってしまう。自分の責任で仕事をしている時は、疲れを知らぬ子どものように走り回っていても、歯車だと感じた瞬間やる気をなくし、無責任になってしまう心理が働いてもおかしくない。
工場ではベルトコンベア方式より一人で全部を組み立てるセル生産方式の方が高い生産性をあげられることが分かってきた。昔の記者はいわばセル生産でやっていた。それをベルトコンベア方式に戻したらモラルもモラールも下がるのは当たり前である。
不祥事の詳しい事情は分からないが、後輩たちから聞き及んだ朝日の社内環境からすれば、起きるべくして起きたとしかいいようがない。
ベルトコンベア方式とセル生産方式の比喩を引きずるのもなんですが、会社からみた生産効率と生産に携わる労働者から見た視点をごっちゃにしてはいけないと思います。手作りで一から作りあげる事を知っている職人の労働意欲と、単なるロボットの代替品である作業員の労働意欲は比べるべくもない。組織でないと取材は不可能とリンテンさんはおっしゃられるが、僕は反対に個人でなければデータの取りまとめは出来ないことに重点を置くべきと思う。
投稿情報: のび | 2005年9 月19日 (月曜日) 00:41
そうそう。セル生産方式でも会社の歯車には変わりありませんよね。
投稿情報: さい | 2005年9 月 1日 (木曜日) 09:08
「工場ではベルトコンベア方式より一人で全部を組み立てるセル生産方式の方が高い生産性をあげられることが分かってきた」と言うのは近視眼的な解説です。単位時間あたりの生産量や金額と人件費の関係でみた生産性はベルトコンベヤ方式のほうが概ね優れています。セル生産方式は需要や仕様、ロットあたり数量の変化などの要素や安全性、メンタルケア、業務・企業への忠実度、ベルトコンベヤ方式への投資効果の逓減などの諸要因により、近年の経営環境で観ればセル生産のほうが優位性のある部分も多くなったということです。細かな肉体作業に分解できない記者の取材行為をこのような比喩で表現すること自体に無理があります。分かり易いように伝えようというたとえでしょうが、無意識のレベルでも体が動く作業環境を作り上げる経営的・経済的な意義も大きなものがありますので必ずしもベルトコンベヤ方式が劣るものではありません。発表記事を鵜呑みにした転記記事を書き魅力の無い紙面を作り続けるほうがもっと問題であると思います。そもそも組織でないと新聞のための取材は不可能です。虚偽や放棄は論外ですが、記者は優秀な取材・編集活動の歯車であることを誇れる職場環境を作っていきたいと思います。
投稿情報: リンテン | 2005年8 月31日 (水曜日) 10:39