大学で講義を持って1年半がたつ。講義を受けた学生たちがメディアをもっと勉強したいから、研究会をつくってほしいといわれている。研究会というのはゼミに似たようなものらしい。勉強したいという学生の要望をむげに断るわけにはいかない。ただ、私のような学者でも研究者でもない、非常勤の教師が研究会を持つことはできないのじゃないか、と疑問を差し挟むのがせいぜいだった。
思い出せば私も学生時代、教師にこれこれの講義をしてくれと頼んで回ったことがある。あの安田講堂事件の起こる前の数カ月間だった。全学ストだからスト関連の討議集会やデモくらいしかやることがなかった。専門科目の授業をやったらスト破りになる。だから他学部の教授に専門外の講義を頼んだ。
2,3人だったと記憶するが、どの教授も快く引き受けてくれた。講義の時だけバリケードを開けて、教授を迎え入れた。ストだから教授たちも暇だったのかもしれない。学生には単位にならないし、教授にも何の利益もない。あったとすれば学生に教える喜びしかなかっただろう。それでも何回か自主講座は成立した。
それより前、学内が平和だったころ、アフガンに探検に行くから、ペルシャ語を教えてくれと東洋文化研究所の教授に頼んだこともある。ペルシャ語をペルシャ語で教えてもらった。これも単位にはならないし、教授には学問的に得るものはなかったはずだ。
大学が用意したカリキュラムで自分から勉強したものは少ない。好きな科目だけ勉強した。好きこそものの上手。それ以外の勉強はあまり身についていない。
いま大学は平和だ。ストもない。学生たちの話を聞くと、彼らは必ずしもメディア企業に就職したいわけでもない。ただ、これからネットでみな発信者になる時代、どういうスキルをあるいはものの見方、考え方身につけるべきか、それを勉強したい、ということらしい。
ジャーナリスティックな考え方、ノウハウを持った人がもっと増えたら、社会はフェアで公平になると信じる私としては、大学当局の結論に関わらず、彼らの希望を叶えるためにもう一踏ん張りするしかない。
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