NHKのテレビニュースを見ていたら、ガングロ風の若い女性が「えっ、今日(8月15日)って何の日」といっているシーンがあった。
若い人にとって8月15日は流れゆく夏の1日に過ぎない。戦争の記憶の風化を嘆く声も聞かれる。
しかし、8月15日が終戦記念日として法的に決まったのは、終戦から18年もたった1963年だったということを私も知らなかった。岩波新書の佐藤卓己著「メディア社会」によると、第2次池田内閣の「全国戦没者追悼式実施要領」を決めた閣議決定だったそうだ。同書はまた、日本がポツダム宣言を受諾した日は8月14日であり、ミズーリ号上で降伏文書に調印した日は9月2日。8月15日は終戦の玉音放送が流された日にすぎず、国際法上では何の意味もない、と指摘している。
佐藤氏はこの問題をメディア論から展開しているのだが、ガングロ娘の「8月15日って何の日?」というあっけらかんとした発言を聞いて思い出した。日本の戦争の記憶はラジオが放送した12月8日の大本営発表に始まり、8月15日の玉音放送で終わったのであり、日本人の戦争の記憶はメディアと深く結びついている、というのだ。15日は盂蘭盆会という伝統行事とも重なって、定着したのではないか、との解説だった。
同氏はこういうことも指摘している。ドイツのメディアと違って、日本のメディアは、日本の終戦記念日をなぜ解放の日と呼ばないのか、真正面から論じたものを読んだことがない。その理由は新聞社の戦争責任への対応が日独では大きく異なるからだ、とも述べている。朝日新聞が新聞の戦争責任について最近時々特集記事を掲載していることは評価するが、この問題提起に答える記事はまだ載っていない。
メディアが8月15日を演出したとすれば、メディア離れする若者が8月15日に関心を持たなくなるのも当然である。
A級戦犯にだけ責任を負わせて、その他の戦争責任にはほっかむりしてきた戦後の日本。それを追及すべきメディアが戦前の体制を温存したまま戦後も生き残ったことが、靖国神社など8月15日の諸問題が解決しない大きな背景なのかもしれない。
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