慶應大学日吉キャンパスに藤原洋記念ホールが完成、先週こけら落としがあった。慶應義塾創立150周年記念事業のひとつとして、インターネット総研の藤原氏が多額の寄付をして完成した。客席数500の中くらいのホールである。
藤原氏は慶應の卒業生ではない。縁があるとすれば客員教授を数年つとめたことがあるくらいである。にもかかわらず多額の寄付をしたのはなぜなのか、興味があってこけら落としをのぞいた。
挨拶にたった同氏はこんなことをいっていた。官の主導するOSIと戦ってインターネットを発展させた慶應のWIDEに敬意を表して寄付させてもらった、というのだ。
OSIとは異機種同士のコンピューターを接続するための相互接続標準のことだ。OSIは1980年代中ごろ、IBM標準の独占を打破するため日欧が連携してつくりあげた。当時通産省記者クラブのキャップをしていた私は何度かOSIを持ち上げる記事を書いた記憶がある。IBMの独占は望ましくないと考えていたからだ。
それがインターネットの標準とぶつかった。結局インターネットのTCP/IPが勝ち、現在のインターネットになるのだが、日本のインターネット草創期、官が推進するOSI準拠の国立大学ネットと民のWIDEがことごとく対立した。詳しいことは省くが、慶應と民間企業の連合が日本のインターネットを切り開いていく。
こけら落としで一緒にいたシステムエンジニアのたまごの慶應卒業生に聞いた。OSIって知ってるかと。知らなくても現在の仕事には関係ないからいいのだが、やはり知らないという。
インターネットは通信だから国家が独占するという論理が幅をきかせていた時代があったことに想像さえ及ばないようだ。生まれる前の事件だから無理もない。しかし、生まれる前だから戦争のことは知らなくていいわけがない。
藤原記念ホールが自由でオープンな通信環境がいかに生まれたかを若い人に想起させるならば、それだけで意味がある。
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