9日心筋梗塞で亡くなった。72歳だった。最近は会ってなかったが、あちらに逝くにはまだ早すぎる歳だった。詳細はここに。
http://www.cyber-u.ac.jp/outline/release/2009/090309_0001.html
私が石田さんと初めて会ったのは、彼が東大大型計算機センターの助教授だったころ。私は朝日の科学面に「コンピューター社会学」という連載を書いていた。いや書く寸前だった。コンピューターの世界にマイクロプロセッサーが登場、パソコン時代の幕が開こうとしていた。
同センターに足しげく通い、そもそも小さなコンピューターに何ができるのか、から始まって、社会はどう変わるか、どんな問題が新たに出てくるか、など知恵を授けてもらった。それが1981年の1月から12月まで連載されたコンピューター社会学の基礎になった。もちろん他の多くの方からも知恵をいただいたが、私にとって石田さんはいつでも会ってもらえる便利な存在だった。
その後のIBM産業スパイ事件とダウンサイジング時代、インターネットの登場とコンピューターの歴史はめまぐるしく変化した。そのたびに石田さんを訪ね、意見交換、情報交換をしてきた。物分りの悪い新聞記者を毛嫌いせず、親身に相談に乗ってくれた。あの柔軟さというかだれともフラットに付き合える性格があったからこそ、官僚主義のはびこる東大でインターネット研究が根付いたのではないか、と思っている。
インターネット協会のあるパーティーで会ったのが最後だが、その席でもあるインターネット関係者同士の仲間割れを心配していた。石田さんとはそういう人なのである。
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