長崎原爆の日の9日未明放映されたNHKの番組「ヒバクシャからの手紙」を見た。井上ひさしさんがこうコメントしていた。
あれだけの悲劇。その被害者の証言がこれだけ多く残されていることはきわめて珍しいことだ。しかも加害者を恨んだり、復讐しようという発言がほとんどない。もう二度と同じ悲惨さを他のだれにも経験させたくない、と語っている。これは人類の歴史上初めての思想だ。目には目をの思想がいまだ世界中を支配している時代に、この日本の思想は世界を救うのかもしれない。
メモを取ったわけではないから井上ひさしさんの発言通りかどうかは自信がないが、私はこう解釈した。
原爆を落とした米国にヒバクシャが恨みを持っても不思議ではない。だがこの番組だけでなく、個人的にも米国への恨みつらみを聞いたり、読んだりしたことがあまりない。
なぜなのだろう。日本人固有の思想風土なのだろうか。あまりにも悲惨な生き地獄を見た人だけが抱く思想なのだろうか。殺人事件の被害者遺族の中にも二度と自分のような悲惨をだれにも経験させたくないという人がいるが、恨みつらみを超越できた人は被爆者ほど多くはない。同じ被害者なのになぜ違うのだろう。
キリストは現世の罪を背負って十字架に上ったといわれる。汝の敵を愛せ。キリストの思想と似ていなくもないが、ヒバクシャは米国を許しているのだろうか。心の中では許せるはずはないと想像するのだが。
復讐するといっても核大国米国ではどうしようもない。無理だからあきらめたのか。私のような小人はあれだけの被害を受けたら、たとえ米国であっても一矢報いたいと考える。テロリストも多分同じだろう。核の自爆テロでもしたくなる。しかし、ヒバクシャはそう考えない。この違いは何なのだろう。一日考えたが答えは出なかった。
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