実は私も登山は好きだった。だがもう登らない。その体力がない。なぜ中高年は山に登るのか。登山は苦しいが、登頂した時のパノラマが美しいからか。登山は年をとってからやるには覚悟がいる。三浦雄一郎さんとか田部井淳子さんとか、高齢になっても山に登る人たちの雄姿を見て自分も、と思うのだろうか。彼らが日ごろどれくらいトレーニングを積んでいるか。見習うといっても簡単ではないはずだ。
学生時代私は探検部にいた。道なき道を歩くトレーニングとして毎月のように山に行った。登山道のない山、地図と磁石だけが頼りの山行だった。雨に振り込まれ、一ヶ所に何日も留まることもあった。
リーダーになってから、危険を避けるため撤退したり、停留したりすると、よく後輩からいわれた。「勇気がない、なんで決行しないのか」。その時腹の中でこういっていた。山行の目的は無事に帰ることだ。
大学2年の夏だった。探検部の後輩が谷川岳一の倉沢で転落死した。その死体を仲間と担いで下山した。登山する前、彼らは私の忠告を聞かなかった。「私たちには岩登りは教えられない。だから勝手に登るな」と伝えていた。それでも彼らは登って墜落した。
山で後輩からなじられた時、あの光景を思い出していた。「お前らの死体を担ぐのはもうゴメンだから」とだけいった。
登山は自己責任だという論が多い。勝手に遭難するのはいいが、捜索する人、死体を担ぐ人、荼毘にふす人の労力、遺族の悲しみを考えたら、自己責任では済まないはずだ。忠告を聞けない勝手な人は山に登らないことがホントの自己責任である。
山では弱虫になることが最も勇気のあることである。
最近のコメント