ハーバード大学のサンデル教授が来日、東大で講義をする。ハーバードでの同教授の白熱した授業はNHK教育テレビで連続で放送された。私も何回か見た。正義とは何かをテーマにした政治哲学の講義なのだが、私が感心したのは同教授の講義もさることながら、出席した学生の反応の方だった。
教授が問題を提起して学生の意見を求めると必ず何人かの学生が手をあげ、それなりの意見をいう。反対意見はないかと教授が尋ねるとまた学生が意見を述べる。対立する意見がどういう歴史的、文化的背景に基づくのか、どう解決に導くのかを教授が解説する。
1回50分の授業が30分にまとめられた番組だったが、シナリオがあるかのように講義はうまく進行する。5日の朝日新聞朝刊に教授のインタビューが載っていた。それによると、教授の講義に出席する学生は1000人。毎回事前に大学院生が小グループごとに予備討議をしているそうだ。自発的に意見をいうことに慣れている米国の若者とはいえ、教室でいきなり政治哲学上の難題について意見を求められて、すぐ発言できる学生はそんなに多くはないと思っていたが、やはり事前の準備があったようだ。
教授の講義は政治哲学の歴史だけでなく現代に起きるさまざまな事件や事象を取り上げ、学生に異なる立場から考えさせる内容で、哲学嫌いの私でもついていくことができた。多民族国家アメリカはこうして社会の分裂を回避し、一定の求心力というかまとまりを保っているのか、が実感できた気がした。
私も代理母、臓器移植など現代の諸問題を課題に取り上げ、学生にリポートさせることがあるが、教室で学生と白熱した討議になることはほとんどない。講義する側も受ける側もサンデル教授のような事前の準備をする余裕がない。
私の学生時代、社会科学系の講義は教授が一方的に話し、期末テストをして終わりだった。ほとんど単一民族の日本では異なる文化的背景を持った人たちの合意を形成する努力をする必要がなかったからか、白熱する講義など見られなかった。
最近、日本の文化を輸出せよという声はあるが、その前に、米国の大学がどのような講義、教育をしているのか、学ぶべき点はまだたくさんある。
教授が問題を提起して学生の意見を求めると必ず何人かの学生が手をあげ、それなりの意見をいう。反対意見はないかと教授が尋ねるとまた学生が意見を述べる。対立する意見がどういう歴史的、文化的背景に基づくのか、どう解決に導くのかを教授が解説する。
1回50分の授業が30分にまとめられた番組だったが、シナリオがあるかのように講義はうまく進行する。5日の朝日新聞朝刊に教授のインタビューが載っていた。それによると、教授の講義に出席する学生は1000人。毎回事前に大学院生が小グループごとに予備討議をしているそうだ。自発的に意見をいうことに慣れている米国の若者とはいえ、教室でいきなり政治哲学上の難題について意見を求められて、すぐ発言できる学生はそんなに多くはないと思っていたが、やはり事前の準備があったようだ。
教授の講義は政治哲学の歴史だけでなく現代に起きるさまざまな事件や事象を取り上げ、学生に異なる立場から考えさせる内容で、哲学嫌いの私でもついていくことができた。多民族国家アメリカはこうして社会の分裂を回避し、一定の求心力というかまとまりを保っているのか、が実感できた気がした。
私も代理母、臓器移植など現代の諸問題を課題に取り上げ、学生にリポートさせることがあるが、教室で学生と白熱した討議になることはほとんどない。講義する側も受ける側もサンデル教授のような事前の準備をする余裕がない。
私の学生時代、社会科学系の講義は教授が一方的に話し、期末テストをして終わりだった。ほとんど単一民族の日本では異なる文化的背景を持った人たちの合意を形成する努力をする必要がなかったからか、白熱する講義など見られなかった。
最近、日本の文化を輸出せよという声はあるが、その前に、米国の大学がどのような講義、教育をしているのか、学ぶべき点はまだたくさんある。
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