八百長相撲の疑いが出て相撲協会の放駒理事長が会見した。野球賭博問題がようやく忘れられかけたこの時期の不祥事、協会としてはやりきれない思いだろう。
かねて八百長相撲があるのではないかとメディアで報じられていた。裁判にもなった。しかし、確証はなく、公式に八百長はないことになっていた。
理事長も会見で、「過去に八百長はなかった」と力説していた。過去にはなかったとなぜ言えるのか、会見で問いただす記者はいなかった。
今回の疑惑は第三者の調査にゆだねるらしい。しかし、同じプロの相撲取りなら、ビデオを見てどの取り組みが八百長で、どれが八百長ではないのか、見抜けるのではないか、と思う。なぜ第三者に任せるのか、理解できない。
物書きの世界でもよく他人の原稿をコピーとはいかないまでもマネしてしまう事件がある。いってみれば八百長である。ある原稿が八百長かどうかは第三者に判定してもらうまでもなく、プロの物書きなら判断できるはずだ。新聞社でそのような事件が起きたら、第三者に判断を任せることはない。
なぜ相撲協会は自分で八百長相撲を見抜けないのか。厳しい相撲をとってきた親方なら、どこがインチキかは見抜けるのではないか。協会は無気力相撲追放を宣言しているが、何が無気力相撲なのかは分かっているはず。プロがプロの無気力を見抜けるなら八百長だって見抜けるはずだ。昔から八百長があって、それを無気力相撲と言い換えているだけではないか。そんな疑惑を持った。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。