agoraに「原発なんていらない」を投稿したら、たくさんコメントがきた。
お前のいうことは後だしジャンケンではないか、という人がいた。反省なら猿でもできる。だが、反省しなければ進歩はない。反省の記事を書いた意味を分かってくれない。
航空機や自動車だって事故がある。恩恵とリスクをはかりにかけているのは原発も同じだ。原発推進派からよく聞かされた論理だ。飛行機事故や自動車事故で亡くなった方には申し訳ないが、リスクはその世代で完結する。
原発事故で亡くなった人は他の事故に比べはるかに少ない。しかし、次の世代でも犠牲者が出る恐れがある。こんなことをいうと広島、長崎のヒバクシャ差別を助長しかねないかと恐れるが、あえていえば原発事故はDNAレベルの事故だ。後の世代で発症する確率は高まる。なぜ国際放射線防護委員会が被曝はas low as practicable(出来る限り少なく原則)を提唱しているのか。DNAレベルの影響が否定できないからだ。飛行機事故と同列にリスクを論じることはできない。
自然界には放射能がある。日本よりはるかに高い自然放射能が存在する地域もある。こうした情報や原爆などの知見から、ここまでなら大丈夫だろうと被曝許容線量が設定された。被爆国日本はかなり保守的な基準を採用している。それは悪いことだろうか。
放射能だけでなく環境ホルモンも遺伝子に影響する。原発とどう違うのか。そんな意見もある。どちらも避けた方がいいに決まっている。DNAによけいなものは避けた方がいい。
豊かな社会を享受するには原発はなくせないという人も多い。豊かな暮らしがしたい気持ちは分かる。しかし、だれの犠牲のもとで豊かな暮らしをするのか。原発周辺の人たちに豊かな暮らしのため犠牲になってくれといえるのか。
日本は原発立地のため巨額の交付金を周辺自治体に配分した。札束で顔を張るやり方だ。事故がない限りこれでよかった。今後もこの方式で原発立地はできるのか。結論は明らかだ。
放射能汚染が発覚して買いだめや買い急ぎが横行している。政府は落ち着いて行動を、と呼びかけているが、これは庶民の自然な防衛本能である。DNAが彼らに語りかけているのかもしれない。
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