冷却できなくなった福島原発1号機に海水を注入したしない、中断したしないをめぐって国会やメディアが騒いでいる。いったい何が真実なのか。錯綜する情報について原子力村の論理、情報隠蔽体質が問題になっている。
ことの経過は、満州で進められた関東軍の独断専行と情報の隠蔽、錯綜、東京の政府、陸軍省の命令無視とそれに続く追認とどこか似ている。
事実経過は新聞情報に譲るとして、現地の発電所長の判断が正しく本社に伝わっていなかったこと。官邸につめていた東電社員が官邸の雰囲気を勝手に解釈、斟酌して、本社に伝えたこと。情報が2転、3転していたこと。メディアが伝える原因はこんなところだ。
嗤ってしまうのは原子力安全委員長だ。海水を注入すると再臨界の恐れがある、という自分の発言が政府発表資料に誤って記録されていたのを、「再臨界の可能性はゼロではない」と訂正させていた。恐れがあるのと可能性はゼロではないというのと、どう違いがあるというのだろうか。官邸が再臨界を心配するのは当然である。説明不足もはなはだしい。メディアは説明を求めるべきではなかったか。
東電の再調査では、現場の発電所長が独断で海水注入を継続していたことが分かった。本社とのテレビ会議で官邸の雰囲気が伝えられ、中断を決めたにも関わらず、中断していなかった。そしてその決断を本社に伝えていなかった。
これを知った原子力安全委員長は「私は何だったんでしょうね」と漏らしたと伝えられた。この委員長発言の意味を解説する記事は見当たらないが、せっかく再臨界の恐れがあるといったのに、守られなかったという意味なのか。自分という専門家のいうことを聞かないなら自分がいる意味がないという意味なのか。彼の本心が聞きたい。結果的に再臨界は起きなかった。現地の発電所長の海水注入継続の判断が正しかった。
現地の判断と情報を優先するのか。現地の指揮官を中央がどこまで統率するのか。戦争で最前線に立つ指揮官は兵士の命を守るため独断専行することがある。それでも結果責任を問われて軍法会議にかけられたり、切腹させられたりした歴史がある。
原発事故の現地でも一瞬一瞬で判断を求められる。冷却水が失われたら現地の社員のみならず、周辺住民まで巻き添えにしてしまう。官邸や本社の判断を待っていられない。
東京の官邸や本社と現地では判断基準が違うはずだ。それを情報隠しだ、隠蔽体質だといって批判するのが正しいのだろうか。
関東軍の独断専行を許したから戦争に突き進んだことは歴史の事実である。しかし、現地の独断で対処しなければならないこともあるはずだ。だから東電には現地所長に独断を許す社内規定がある。報告をしなかったことで処分を検討するらしい。
これら一連の経過は原子力村の体質によるのだろうか。海水注入、あるいは継続の判断はだれがすべきものだったのか。発言があちこちする原子力安全委員長の判断なのか、首相の判断なのか。たぶん事前に決まっていなかったに違いない。めったに起きない事故だからシミュレーションもしていなかっただろう。
どんな職業人であれ、即断即決ができない現地指揮官は落第である。ああでもないこうでもないと会議ばかりして何も決められない本社や官邸など当てにできないと現地指揮官が考えるのはいつの時代でも共通である。
この問題は原子力村固有の問題ではなく日本社会固有の問題ではないだろうか。
原子力部門は村社会だといわれる。村独自の判断や掟があるといわれる。原子力は難しい専門分野だから他部門は理解しにくい。つい専門に判断を任せてしまう。逆に原子力部門は他部門、社会やメディアを含めていくら説明しても理解してもらえない苛立ちがある。お互いに遠慮して、ムラが形成されていった。本社や官邸に説明してもすぐには分かってもらえない。そんな無駄な努力をするより、原発の安全を守る作業を優先させたい。実績を見せたい。そんな感覚があるのではないか。風通しが悪いといってしまえばそれまでだが、現地の言い分をきちんと聞く、本社の方針を事前に整理して伝えておく。こうした作業を積み重ねていて初めてムラはなくなるはずだ。原子力関係者が作ったムラ。それが事故の遠因だというなら、ムラを作った当事者は原子力を取り巻く非原子力関係者でもあるのだ。
今朝の北陸中日新聞20-21面こちら特報部「原子力村に同窓人脈」の特集に貴兄のお名前を見つけました。
メディア研究会でご一緒し貴ブログを覗いたことがありましが、改めて原発へのコメントを拝読しました。さすがに奥深い論説を展開されておられ、当事者、メディアの拙劣対応にやり場のない不満の痛点を突くものがあり少し溜飲が下がりました。
昨日、台風のため東京への便が飛ばず富山の田舎でネットチェックしてブログを拝読しました。貴ブログの継続拝読者になります。いっそうのご健勝をお祈りしています。
石油会社勤めを終え教壇に立っているノッポのKN生
投稿情報: KN生 | 2011年5 月30日 (月曜日) 09:27
私は混乱状況の中、吉田所長の判断は正しかったと思います。吉岡律夫氏も失敗学会HPで「もし、海水注入を停止していれば、圧力容器の底部破損範囲が更に拡大した可能性もあり、注水継続を決断した所長の判断は、表彰状ものであって、処分などとんでもない事です。」と述べておられます。
投稿情報: 田中秀明 | 2011年5 月29日 (日曜日) 15:12