5月30日の東京新聞「こちら特報部」に原子力村に同窓人脈という記事が載った。東大原子力工学科出身者が官、産、学の原発推進グループ、いわゆる原子力村を構成、原発批判派を徹底的に排除してきた構図を描いていた。
原発事故調査委員会がスタートした日、菅首相はあいさつで「原子力村があるとすればその構造も調べてほしい」と語った。
私は昨日も、NHKの取材を受けた。ムラの存在について何か番組ができないか、智恵を貸せというのだった。
他者の批判を許さない原子力村は果たして存在するのか。東大原子力工学科出身者が主たる構成員なのか。異端者を排除する構造はあったのか。その存在を疑っている人は案外多い。かりにその種のグループがあったとして、今回の事故とどう関係するのか。社会学の研究テーマとしてはおもしろいが、事故調査委員会で調べ切ることができるのか。
国策として進められた原発は、政府、官僚、産業界、電力、大学がある種の利益共同体を構成していたことは間違いない。メディアもその共同体構成員に加える人もいる。私がいた朝日新聞も一時は原発推進論に組する報道があったがゆえ、構成員になるのだろうか。
私は、原子力村の存在を肯定したわけではないが、メディアには原子力村の人たちが外部に発信しにくい環境を作ってきた責任がある、と感じている。
その昔、関西電力を取材していたころ、関電幹部が原子力部門の社員たちを「アンタッチャブル」と表現していたのを覚えている。原子力は専門性が高く、なかなか、彼らの中に入っていけない。彼らに任せるしかない。だから触らぬ神にたたりなしになるというのだ。
原発がそれほど専門性の高い分野だとは思わない。それは私が原子力を大学で学んだからかもしれないが、専門の違うジャーナリストでも原発をよく理解している人はたくさんいる。相互に理解しにくい壁があったとすれば、村は存在していたことになるが、科学技術に関心のあるジャーナリストならだれでも原発記事は書けた。もちろん批判記事も書けた。メディアをひとくくりにして同じ村民とする考え方には抵抗がある。
問題は、政、官、業の関係である。膨大な原子力予算を握る政、規制監督する官、プラント建設、発電でもうける業。予算、規制、天下りのもたれあい構造がなかったとはいえない。政治と原発の関係は徹底的に調べ上げる必要がある。得に自民党政権時代の批判を許さない原発推進論がどのように形成されてきたのか。検証すべき問題だ。
全電源喪失を想定する必要はないとした原子力安全委員会、想定を超える津波の可能性が指摘されながら見落とした、官と業。些細な放射線漏れを大げさに報道し、原子力村の住人に口を閉ざさせてしまったメディア。問題はきりがない。
福島以後、メディアは原発肯定派と脱原発派に分かれた。それぞれのジャーナリストも分かれた。原発がなければ現在の生活レベルは維持できない。いや維持できる。日本産業の国際競争力はなくなる。いや、省エネ、環境、自然エネルギーの分野でかえって最先端を走れる。
原発が安全なのか安全とはいえないのか、かつての議論とは対立の質が変化している。低レベル放射線被曝の健康への影響について多くの国民が関心を持つようになった。原発の安全性について政府のいうことに不信感を持つ国民も増えた。
ムラの内外できちんとした議論ができなかった時代と環境は大きく違う。原子力関係者の内輪の議論だけでなく、多くの国民とコミュニケーションできるようになれば、ムラは存在しなくなるはずだ。メディアはいたずらに対立を煽らず、健全な議論ができる環境を醸成する必要がある。
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