菅首相が脱原発を表明した。辞意を表明した首相が脱原発を宣言してどれだけの意味があるのか。タイミングを完全に逃している。もっと早く表明していたらここまで支持率は低下しなかったはずだ。
原発再稼動についての内閣不一致で、菅首相の思いつき、行き当たりばったり的発想と批判されたが、ここで脱原発を宣言するなら、再稼動を議論する前に表明しておくべきだった。再び場当たり的対応だと批判されるのは目に見えている。
ここまでは記者会見のあった日に書いた。書いて筆を止めた。案の定翌日、官房長官があれは首相の個人的希望だと会見で述べた。さらに15日の閣議で菅首相自身、あれは個人的見解だと説明した。
首相が個人的見解を述べてはいけないとは思えないが、首相の個人的見解が許されるなら、「一定の目途がついたら若い世代に責任を引き継ぐ」といった辞意表明も公的見解ではなく個人的見解になってしまう。だれとも相談していないし、党内の根回しもないのだから。
原発に依存しない社会について、菅首相は福島原発事故以来考えてきたとも発言しているが、事故以来ずっと原発容認路線をとってきたのは首相本人ではないのか。4ヶ月もたってやっと原発事故の深刻さが理解でき、脱原発を表明したのだとすればナント頭の回転が遅い人なのか。
今日細野原発担当相が「現実に原発の建設は難しくなった」と発言している。これだけ大きな被害を出し、損害賠償費用が天井知らずの巨額に上ることが明白になった原発を民間電力会社が建設できるはずがない。事故なしに今後も運転できるとも限らない。万全な安全対策を施そうとすれば、いくら巨額の費用がかかるか分からない。そんなリスクを取れる経営者はいない。
もともと潜在的リスクが大きすぎ、政府の補償なしに、民間企業は原発を導入できなかった。原子力損害賠償法などの裏づけが必要だった。政府が今後も原発を維持せよというからには、巨額賠償は政府の責任で今後も引き受けることを改めて表明するのが筋である。
しかし、財政難の政府にとって、補償などできないことはだれの目にもあきらかである。福島事故の補償さえ怪しい。政府はもはや原発事故の補償はできないとまず正直に表明するのが筋ではないか。
政府の後ろ盾なしに危険な原発を建設する民間企業など出てくるはずがない。細野担当相の発言はそれを裏付ける発言であり、原発は黙っていてもいずれゼロになるのである。原発の安楽死まで再び事故を起こさないためにはどうするかが、当面の政府の最大の課題である。
今後数十年いや100年単位で、被爆者の健康管理をどうするか、廃炉までの作業工程、核燃料の安全な永久的保管、汚染土壌の管理、などいくらでもある。
震災からの復興は超党派でというなら、原発の廃止までの政策も超党派で進めるしかない。
原発はゼロにはならないでしょうね(少なくとも20年は)。むしろ古くなった原発はどんどんリプレースすべきだと思いますが、そうもならないでしょう。いつも思うのですが、原発なくしたい人って、無くせって言ってるだけで、代替案が無いんですよね。やっと出てきたと思ったら、太陽光だとか風力程度を育てれば今は無理でもそのうち・・程度の希望的観測。その前に経団連会長が言っているように、エネルギーの不安定な日本から製造業はみんな逃げ出して、失業者あふれるとか、負の側面は見ないようにしている。菅首相が”脱原発”って言っても、誰もまわりが乗ってこないのは、首相の資質の問題もあるけど、頭の中ではみんな原発なしではやっていけないのが分かっているからでしょう。火力をフル稼働するのもいいけど、地球温暖化はどうするのでしょう。原発事故よりはるかに影響が大きい話なのにね。
投稿情報: st513 | 2011年7 月15日 (金曜日) 21:03