スーパーの肉売り場から国産和牛肉がほとんど消えた。やっと買えたのは北海道産和牛。並んでいたのは米国産、オーストリア産ばかり。放射能で汚染された稲わらを食べた和牛が出荷停止になっているからに違いない。
稲わらの放射能が高濃度でも牛肉が高濃度で汚染されているわけではない。食物の安全性について知識はないが、メディアに出てくる専門家は食べても健康に影響があるレベルではないという人が多い。基準値はキログラムあたり500ベクレルでも、こちらが食べられる量はせいぜい100グラム。取り込む放射性物質は10分の1になる。放射性セシウムなら数日で排泄されるはずだ。
子どもには心配であっても、私のような老人なら、多少基準値を上回っていてもほとんど健康に影響はないはずである。成人向けならぬ老人向け牛肉というレッテルを貼って売ってくれればありがたい。年寄りは被災地支援に行きたいのに、体力的にそれができない。汚染牛肉を食べることが被災地支援になるのなら、どんどん食べたい。
若いころは牛肉をよく食べた。年をとってからは魚を食べることが多くなった。歯が弱くなり柔らかい高級和牛以外は噛み切れなくなったからだ。この際、放射能で多少汚染されていても、柔らかい牛肉を安く買えるなら、もう一度食ってみたい。年寄りのささやかな願望である。
はじめまして、趣旨は解りますが、老人なら大丈夫(裏を返せば子供は危険)と決めつけるのは疑問があります。
例えば、肉類の暫定規制値の決め方を見ても、成人の方が子供よりもずっと厳しく(少なく)なっています。これは、食べる量と排出速度の関係しているからです。キログラムあたりのベクレルで表示する限り、乳製品以外は大人の方が厳しいのです。
ただし、被曝量(シーベルト)が同じならば子供の方が影響が厳しいでしょう。
子供を守ろう一辺倒の人達には、「子供は危険」だけではなく、こういった事情も含めて説明していく必要を感じます。
投稿情報: 杉山弘一 | 2011年11 月13日 (日曜日) 11:08
低線量被曝、ことに内部被曝の影響に関しては、専門家のあいだでも見解が異なります。原さんがリニア仮説を採るのは、それはそれで、立派な見識と考えます。けれど、私は「閾値がある」という考え方を支持します。少なくとも自然放射線量までは、人類はかなりな過去から被曝してきたわけで、これはゼロではない、はずです。それでも人類は存続してきた。「DNAの叫び」は、たとえば、日本人のほとんどのひとがヘビ(蛇)を嫌悪する、といったことと同列の「民族の伝承文化」とでもいうものと比較できはしないでしょうか。DNAを、ことさらに出すことは、かえって問題を曖昧化するように、私には思えます。生命体の生死を司るのは、たしかにDNAですが、DNAは単独では「物質」でしかなく、蛋白質に満ちた細胞内で初めて「生命体の根源」となりうるものです。
投稿情報: electron_P | 2011年8 月 5日 (金曜日) 15:41
electron Pさん
コメントありがとうございます。
低線量被曝の影響について科学的医学的結論が出ていないことはご承知だと思います。低線量でもリニアに影響があると考えることにする。この理論をどれだけの人が知っているのかといわれれば、答えはノーです。しかし、低線量でも不安だと感じる多くの人々の感覚は間違ってはいないと思います。リニア仮説に沿っているのです。私はそれを文学的表現ですが、DNAの叫びだと呼んでいます。人間が老化し、死んでいくのもDNAのなせる業です。
投稿情報: junhara | 2011年8 月 3日 (水曜日) 03:08
老人だから汚染肉の影響は少ない、と考えられるのは、放射性物質について、多少の知識があるからです。知識のない老人は、あるいは、若者でも、「放射能、恐怖!」の感情しかなく、このため「どんな低線量の被曝でも、生涯でのガンの発症率を押し上げる」ととらえています。自然放射線の存在やその被曝線量など、頭から信じていません。こうしたひとたちを、どう納得させるか、はたまた、放置せざるをえないのか、一刀両断の妙案はないように思います。
投稿情報: electron_P | 2011年7 月30日 (土曜日) 14:27