日本女子オープンをテレビで観戦している。有名選手がパットをはずすたびに「あーっ」というため息が聞こえる。実況するアナウンサーまで短いパットの失敗にため息をついていた。
先日テニスの試合中、クルム伊達選手が失点する場面で、観客が「あーっ」と悲鳴のようなため息をあげた。すると同選手が、大きな声で客席に向かい「ため息ばかり」と叫んでいた。その場面をニュースで見た。
その後の解説や投書には伊達選手に同情する声が多いようだ。欧米人は応援する選手が失点したとき、ため息はつかず、勇気づける声をかけるらしい。しかし、日本人なら応援する選手が失点したらだれでもがっかりしてため息をつきたくなる。ため息には同情の心も含まれているはずだ。伊達選手は、日本人の応援の仕方、いや考え方に不満なのだろう。
日本人の感受性に怒りを表してもしかたがないと思うのだが、ゴルフのため息に文句をいう日本人選手はいない。
昔ゴルフ試合で、優勝に王手がかかった外国人選手がミスをした時、拍手したギャラリーがいた。さすが私もこれは失礼な拍手だと感じた。だが、テニスでもゴルフでも応援する選手がミスした時、私もため息をつく。欧米のゴルフトーナメントでも観客はため息をつく。それを選手が失礼だと感じるか感じないか、どこの国でも応援する側には分からない。
テニスでもゴルフでもため息が嫌だといったのは伊達選手だけだ。応援の仕方に国際標準などはないと思うが、ため息応援は失礼だと感じるなら、そういうルールをテニス連盟にでも訴えたらどうだろう。できないなら日本の試合に出なければいい。
スポーツの試合中、日本の観客はフェアな応援をすると、多くの外国人選手がほめ称える。
ため息がフェアでないという理由は何か。文句があるなら日本人が納得する説明をしなければならない。力の衰えによるミスを観客のせいにしてはならない。
テニスだけため息を嫌う特別の事情でもあるのだろうか。
先日テニスの試合中、クルム伊達選手が失点する場面で、観客が「あーっ」と悲鳴のようなため息をあげた。すると同選手が、大きな声で客席に向かい「ため息ばかり」と叫んでいた。その場面をニュースで見た。
その後の解説や投書には伊達選手に同情する声が多いようだ。欧米人は応援する選手が失点したとき、ため息はつかず、勇気づける声をかけるらしい。しかし、日本人なら応援する選手が失点したらだれでもがっかりしてため息をつきたくなる。ため息には同情の心も含まれているはずだ。伊達選手は、日本人の応援の仕方、いや考え方に不満なのだろう。
日本人の感受性に怒りを表してもしかたがないと思うのだが、ゴルフのため息に文句をいう日本人選手はいない。
昔ゴルフ試合で、優勝に王手がかかった外国人選手がミスをした時、拍手したギャラリーがいた。さすが私もこれは失礼な拍手だと感じた。だが、テニスでもゴルフでも応援する選手がミスした時、私もため息をつく。欧米のゴルフトーナメントでも観客はため息をつく。それを選手が失礼だと感じるか感じないか、どこの国でも応援する側には分からない。
テニスでもゴルフでもため息が嫌だといったのは伊達選手だけだ。応援の仕方に国際標準などはないと思うが、ため息応援は失礼だと感じるなら、そういうルールをテニス連盟にでも訴えたらどうだろう。できないなら日本の試合に出なければいい。
スポーツの試合中、日本の観客はフェアな応援をすると、多くの外国人選手がほめ称える。
ため息がフェアでないという理由は何か。文句があるなら日本人が納得する説明をしなければならない。力の衰えによるミスを観客のせいにしてはならない。
テニスだけため息を嫌う特別の事情でもあるのだろうか。
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