わが家ではおせち料理は毎年、出来合いのおせちだ。自家製ではない。甘いだけでうまくはない。世間の平均値の味でつくっているのだろう。
しかし、七草粥だけはなぜか自家製。もちろん七草はスーパーでパックで買っている。粥に七草を入れただけだから、簡単に調理できる。うまくない。なにが七草だ。昔はそこらへんに生えていた雑草だ。それをありがたがって買うほうも買うほうだ。
味も素っ気もない。今年も醤油をかけて食べた。
子ども時代、わが家は食に困っていた。それでも七草粥は食べなかった。雑草を食うほど貧しくはない。正月くらいはちゃんと子どもにおせちを食わせたい。親の思いはたぶんそうだったはずだ。
いま豊かな時代になってなぜ雑草を食うのか。伝統を守るのに異論はない。しかし、この雑草商法はいったいなんだ。七草を栽培する農家もあるらしい。昔の食糧難時代を思い起こせといっているのか。食うものがなかった時代の知恵が七草だったはずだ。だったら食糧難の怖さを子どもたちに教えながら食わせるのがいい。
そういえばイモ雑炊も最近はみなありがたがって食べる。アホか。あれは食うものがない時代の食い物だ。もう二度と食いたくない。戦後の焼け跡で育った世代はみなそう思っている。
サツマイモも最近は珍重される。うまいものはうまいが、あれは飢饉の時の代用食だ。そういう解説付きで子どもに食べさせてほしい。
いや子どもよりいまの親世代も食糧難など知らないのだから仕方ないか。
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