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2007年11 月13日 (火曜日)

コメント

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s tanaka

関本さんにはお会いしたことはありませんでしたが、私の後見人であった小林宏治名誉会長からは何度か関本さんのことは話に聞いておりました。要は、名誉会長は関本さんばかり、世間で目立つので、嫉妬していたのです。老害などと悪評もでて名誉会長の言動も危ういと思い、「部下は可愛がってあげないと」と名誉会長に意見したことがありました。

junhara

関本さんを送る会にいってきました。献花する列に並んでいたら、すぐ前に塩爺の姿がありました。献花台には天皇陛下からの供物というのか御霊前というのか、何というのか知りませんが、小さな袋がありました。献花の後パーティー形式の会場に移動、懐かしい人に何人か会いました。ウーロン茶だけいただいて大学に向かいました。

toyotaさんコメントありがとうございました。
そうでしたか。対中輸出の件は知りませんでした。インドにスパコンを輸出する時、米国からいちゃもんがついたことは記憶にあります。詳しいことは忘れましたが。

toyota  rolannds

関本さんは知らなかったと思うが、中国へのスパコンのセールスで、関本さんはアメリカ政府機関の怒りを買った。アメリカは中国政府のスパコンにいろいろな細工をして売りたかった。いわば盗聴機付きのスパコンをである。
何も知らない関本さんは、トップセールスでNECのスパコンの受注を取ってしまった。
アメリカの苦労は水の泡である。
関本を殺せ!とアメリカの組織は暗殺指令を出した。
それからは誹謗中傷の仕組まれたスキャンダルが次々とマスコミに出るようになった。会社や家族のスキャンダルもすべて仕組まれたものだった。
関本さんは米中戦争のいわれなき被害者であった。本来の実力からすれば経団連会長も夢ではなかった。ビルゲイツが億万長者になったのは関本さんが創業時から支援したからである。NECが田町にスーパータワーを建てられたのも関本さんのおかげである。
多くの人は事情を知らないため、晩年はさびしい結末となった。とても気の毒であった。

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