大阪の老舗、吉兆が偽装表示で揺れている。北海道の白い恋人といい、伊勢の赤福といい、いずれも偽装表示でブランドに傷をつけた。
吉兆といえば、高級料亭の筆頭格である。いったん座敷に上がったら最低でも片手は覚悟しなければならないと聞く。庶民には無縁な存在である。今回の吉兆の偽装問題報道を見て、関西の庶民は心の中でこう笑い飛ばしたかもしれない。
金持ちから稼いでたんと税金払ってくれはったら、それでええのではおまへんか。
あくまで冗談だが、最近は有名ブランドが地に堕ちる事件が続いている。
日本人のブランド好きはつとに有名である。欧州のブランド品のショップが銀座に相次いで出店している。偽ブランドの摘発も盛んである。それだけ大きな市場があるからだ。
かつて、コメはコシヒカリがうまいといわれ、全国各地でコシヒカリが栽培されるようになった。すると本場の魚沼産コシヒカリがブランド化し、高値で取引されるようになった。最近では海外でもコシヒカリが生産されるようになった。輸入コシヒカリに押され、本場のコシヒカリ農家は窮地に立っているそうだ。
ブランドが確立し高く売れるようになると、安価な疑似商品が必ず出現する。フランスワインもいまや南米産、豪州産、南ア産などに押され、衰退が始まったそうだ。ブランドの終焉といえる現象である。
ブランド品の多くは日常生活にはなくても困らない。吉兆がなくても生活に困ることはない。魚沼産コシヒカリが買えなくても栄養に偏りが出るわけでもない。
ブランドが確立したとたん、そのブランドは下級品の追いあげを受け、ニセモノに悩まされる。ブランドを維持するのは並大抵の努力ではない。そうした努力に顧客は高い金を払っているのだ。それが続けられないブランドはその座を下りるしかない。
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