H2Aロケットが偵察衛星打ち上げに失敗した。メディアは、日本のロケット開発窮地に、などと書き立ている。
1980年代の初頭、私が種子島、内之浦でロケット打ち上げを取材した時も、日本のロケットは相次いで失敗、宇宙産業は窮地に立たされていた。次に失敗したら、日本の宇宙開発そのものを見直さなければならない、という空気がメディアには強く、私もそういう観点から記事を準備するよう、指示された。しかし、その時、私は2度や3度の失敗で日本は宇宙開発をあきらめていいのか、と反論した記憶がある。
なぜ日本のロケットは失敗が許されないのか。それは莫大な税金を投入したプロジェクトだから許されない、というのが当時の考え方だった。いまでも日本人の考え方はあまり変わっていないからこそ、宇宙開発窮地へ、という失敗を非難する記事が大きく載るのだと思う。
ロケットは何万点もの精緻な部品の集合体である。そのすべてが順調に働いて初めて衛星は軌道に乗る。一つの部品が1万回に1回しか故障しなくても、1万個の部品が集まれば、必ずロケットはどこかで不具合を生じる。つまり失敗する。だから個々の部品の精度を究極まで高める必要がある。
では、そのためにはどうするのか。大量生産できる部品を使うしかない。部品は大量に生産すればするほど、精度は上がる。それが工学的常識である。1台しか生産しない自動車より、100万台生産する自動車の方が統計的にみれば故障は少ない。
日本のロケットは1年に1機か2機しか打ち上げない。だから部品の精度が上がるわけがない。民生分野で使われる汎用品を利用する手もあるが、全部汎用品でまかなうわけにはいかない。
かつてスペースシャトル1号機の打ち上げを取材した時知ったのだが、シャトルの搭載コンピューターは1世代ないし二世代前の旧型機だった。その方がバグが少なく安定して動作する、というのがNASAの見方だった。ハイテクの塊と思われているシャトルが旧型コンピューターを搭載していることが一般の人には信じられないかもしれないが、故障しないことがロケットの安全性、安定性をあげる上では不可欠なのだ。
日本のロケットも同じ考え方で開発されていると思うが、なにせ打ち上げ回数が少ない。部品の精度を上げるにはあまりにも少ない。そうした環境で百発百中を目指せというのは工学的常識に反している。当時、宇宙産業関係者から聞いた。日本の宇宙産業はみそ醤油産業なんです。つまりそれくらいの市場規模しかない、というのである。現在はもうちょっと大きくなったかもしれないが、打ち上げ回数が一桁増えたわけではない。
米国のロケットがなぜ成功率が高いのか。軍用ロケットで何回も打ち上げているからだ、というのが専門家の常識だった。日本にはロケットの軍事利用がない。中国が有人宇宙飛行に成功したのは、技術力の差というより、軍事用ミサイルの経験に支えられていたと見るのが妥当だろう。日本のロケットには基礎となるミサイル需要がないから、成功率が上がらない宿命がある。他の産業でも国内市場が小さければ、国際競争力のある製品が育たないのと同じように、国内需要が少ない日本の宇宙産業は競争力を持てないのだ。
だから自衛隊は国産の弾道弾ミサイルを装備せよ、といっているわけではない。日本が宿命的にかかえている立場の不利を考慮せずに、成功率が低いと批判するのは正当ではない、と思う。
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