日本語が乱れている、という。言葉は時代とともに変わるのだから、何が乱れなのか、を定義し直さなければいけない、と思う。話言葉だろうと文章表現だろうと、的確な表現、正確に伝わる表現、誤解を招かない言葉が、正しい日本語であり、この条件さえ満たしていれば、文法にかなわなくても、慣習的表現に反していても、かまわない、と個人的には考える。
こうした問題とは別に、耳ざわりな話言葉がある。これは的確な表現でもなければ、正確な表現とも関係ない。ただの相づちでしかないのだが、テレビの生放送のインタビューで出てくる表現である。インタビューされるスポーツ選手の回答に特に多い。どのような質問であっても、必ず「そうですね、やはり」という接頭語がつく。質問の回数だけ出てくる。
普通なら「はい」とか「まあ」とか、ごく短い接頭語だったはずだが、いつの間にか「そうですね、やはり」がはやている。いつから流行し始めたのかは知らない。気にし出すと気になる表現である。
支払いのためレジで1万円を出すと「1万円からお預かりします」という表現が最近問題になっているが、相手がそこにいるから、「その言葉はやめた方がいいんじゃない」などといえる。しかし、テレビで繰り返しこの表現を聞かされると、相手に「ちょっと待って」とはいえないから、だんだん腹が立ってくる。だれがこんな不必要な表現を教えたんだ、と。テレビ局の人たちは、このことに気づかないのだろうか。「そうですね、やはり」1回だけで放送時間を数秒間は無駄にしている。
答える側はこの間に気の利いた返事を考えているのかもしれない。考えている間、沈黙していたら、まずい、と思っているのかもしれない。否定したいなら「いいえ」だし、肯定なら「はい」で始まっていいはずだ。にもかかわらずどちらの場合でも「そうですね、やはり」なのだから、これは回答考慮時間かテレビ局へのリップサービスとしかいいようがない。
ただの相づちなのだから、目くじら立てることでもない、といわれるかもしれないが、無意味な言葉を繰り返し聞かされる暇はない。正しい日本語に強い関心を持つNHKでさえこの現象の例外ではない。日常会話でこういう表現はほとんど出てこない。テレビだけの特異現象である。テレビ文化は無意味な日本語を創り出す元凶でもある。
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