また涙の1週間が始まった。6日の広島原爆記念日から15日の終戦記念日まで、メディアは過去の戦争について涙、涙の記事、番組を流す。あの忌まわしい戦争を民族の記憶として残しておきたいのだろう。しかし、戦後60年以上たってもなぜか毎年、新事実が明らかになり、涙を流さねばならないのだろうか。
7日はNHKスペシャルで「硫黄島玉砕戦、帰還兵が語る日米軍激突」を放映していた。投降することも自決することも許されなかった日本兵が、司令官が死んで組織的抵抗ができなくなった後も、地下壕で多くが生き残っていたそうだ。しかし、生きて帰還できたのはごくわずか。帰還兵たちの証言は、それとはっきり分かる証言ではなかったが、生き残った日本兵同士が殺し合ったことを連想させる内容だった。
帰還兵たちが戦後ずっと沈黙を続けたのは、遺族にさえ語れないその事実を背負っていたからではないだろうか。地獄よりひどい阿鼻叫喚の世界で、人間ではいられなくなった体験を彼らに語れとはいえない。「戦友の死には意味があったのか。無駄死にだったとは思いたくない」。戦友の死に意味を見つけようとしても見つけられない彼らの苦悩に落涙した。
硫黄島で戦った米軍の元海兵隊員が語っていた。「彼らを追いつめた指導者にこそ責任がある」。戦死とはいえないような悲惨な死に多くの兵を追いやった責任は、現場にいた兵ではなく明らかに指導者の責任である。戦後、日本は戦争責任の追及を怠ってきた。そういう戦後社会が帰還兵に証言させることを拒んできたのではないだろうか。硫黄島で死んだ日本兵の死に意味があるとすれば、彼らを死に追い込んだ指導者の責任を明らかにし、何が間違っていたのかを記録として残すことしかない。
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