毎晩全英オープンテニス、ウインブルドンをテレビで観戦している。残念ながらお気に入りのシャラポアもヒンギスも敗退した。
今年はボールが白線の中に入っているか、アウトか、が映像で確認できるシステムが導入された。選手が審判の判定に異議をとなえると、このシステムが呼び出され、アウト、インが確認できる。
どういう情報システムなのかは分からないが、映像処理技術の進歩によるものだろう。そのおかげで誤審をめぐって選手と審判の間の、ののしり会いがなくなった。審判に毒づいたマッケンローのあのやんちゃ坊主ぶりが懐かしく思えてくる。
1セット3回まで異議申し立てる権利が選手に与えられ、選手の異議が正しければ権利はそのまま保留され、間違っていると権利が減らされていく。統計をとったわけではないが、見ていると選手の異議申し立てが正しい場合が多い気がする。つまり審判の目より選手の目の方がより正しいということである。
機械による判定が可能なら、線審はいらないはずと思うが、相変わらず多くの線審がラインごとに張り付いている。機械なんか信用できないというイギリス伝統の流儀なのだろうか。
映像処理技術がここまで進んでいるのだから、他のスポーツにも機械による審判が次々と導入されるだろう。となると誤審をめぐる選手、それを援護する監督と審判の対立、格闘が激減するはずだ。誤審をめぐる格闘はスポーツマン精神に反するという見方もあるが、あれはあれで観る方にとってはひとつの楽しみである。お楽しみのシーンがなくなるのはやはり寂しい。
私も原さんの考え方に賛成です。
人間がすることには「のりしろ」(人間くささ、というか、無駄、というか、不合理、というか)を取っておいたほうがいい。100m徒競走で他の選手よりスタートが0.01秒早かったからフライイングだとか、ゴールしたのが0.01秒早かった・遅かったというのは、どうも私はシックリこない。常人とは思えないほど速い、っていうだけでいいじゃないか、金メダルと銀メダルを2つに割ってくっつけたっていいじゃないか。100mを10秒で走るっていうだけで、もはや神の領域ですよ。
コンピュータを使えば、人間の「のりしろ」を削ることができるのは事実ですが、今度はそういう社会に人間がついていけなくなる。野球の乱闘シーンも見せ場の一つだし、相撲の軍配差し違えも人間くさくていい。人がコンピュータに使われるようにはなりたくないな。
投稿情報: 佃 均 | 2007年7 月 7日 (土曜日) 18:25