自費出版の「東京めたりっく通信物語」が送られてきた。筆者の東條巌さん(元東京めたりっく通信社長)からの献本である。手書きのあいさつ状がそえられていた。「原の野郎!」が飛び出しますが、ご勘弁を、とあった。
何が書いてあるか、だいたい想像はできたが、早速読んでみた。最終章の冒頭にこの表現がある。正確に再録すると「原の野郎め、やりやがったな」である。
都合の悪い記事を書かれて怒る経営者がよく口にする言葉である。確かに私がその日の朝刊に「東京めたりっく経営危機」の原稿を書いた。東條さんが記事を読んで怒鳴ったとしても不思議ではない。
彼は著書で、記事をまったく予期していなかったと書いているが、その数行後に「資金調達の手段として、強力なパートナーの出現を期待する旨、記事にでもしてくださいな、と喋ったことも確かだ」と書いている。
真相はこうだったというにはヘンだと思いませんか。当事者が書く真相ものには、いろいろ配慮しなければならない事情がある。ここで一方の当事者である私が実はこうだったと暴露すると、筆者の立場がなくなるかもしれない。ブンヤが悪者にされるのは慣れている。ここは武士の情けで勘弁することした。
というのもADSLの草分け東京めたりっくとは同社創業以前から長いつきあいがあるからだ。最初の遭遇はもう一人の創業者小林さんがADSLの資料を持って訪ねてきた時からだ。1993年か94年ごろだった。電話線で動画が送れるなら実験して見せてください、と依頼した。95年ごろ実験を見せてくれた。ホンモノの技術だと確信した。小林さんとは電電民営化当時からの知り合いで、民営化当時彼はATTパラダインの社長をしていた。
東めた創業のきっかけとなった伊那のADSL実験。伊那とも実はそれ以前からのおつきあいがある。阪神大震災の直後、伊那の有線放送電話農協の中川さんから手紙をもらった。NTTに依存しない光ファイバー網を持っているんです、という内容だった。その後しばしば現地を訪ね、独自網を利用したADSLサービス開始など何度か記事を書いた。
東めた創業前、ベンチャーキャピタルの信用調査にも協力した。サービス開始後、NTTの意地悪で積滞が生じた時は、記事にして世論を喚起しようと、何度も小林社長に働きかけた。この東めた物語にも書かれてない部分を見てきた。
ITバブルがはじけ、同社が信用不安を招いていることも知っていた。ソフトバンクに買収されるまでの経過は東條さんが書いている通りだが、最後の引導を渡したのは私であることは間違いない。これ以上は筆者と相談の上いずれ明らかにしたい。
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