高校の学習指導要領が改定され、英語教育の強化が盛り込まれた。新聞投書欄に現場英語教師が書いた反発の投書が載っていた。教育現場に余裕がないというのだ。どんな仕事に就くにせよ英語力は必要だから、英語の授業は英語でやるのが好ましいと思っていたがそうでもないらしい。英語は読めても話せない世代としては、きちんとした英語教育が受けられる若者がうらやましくさえある。
大学で学生の学力不足が問題になっているという記事を数ヶ月前に読んだ。数学も理科も国語も学力不足だそうだ。英語だけが問題なのではない。
講義の中で学生に質問をしたことがある。「学校の国語の授業で作文の添削指導を受けたことがあるか」。手をあげた学生はたった一人だった。
国語能力の基本は、読める、話せる、それと書ける作文能力である。英語とて同じのはずだ。これまで英語教育は読解力と文法に力点が置かれ、話す聞く能力、書く能力がおろそかにされてきた。国語も作文能力がおろそかにされてきた。英語の授業強化をいうなら、その前に国語力強化を求めたい。
聴講する学生の中に米国で育った学生がいる。リポートは英語でいいか、と質問してきた。考える時は何語で考えるか、と聞くと、英語だという。なら英語でよいと答えた。英語で話されたら困るが、英文なら何とか読める。その学生の英文は格式が高いというか、話し言葉とは違う単語がよく出てくる。日本文の漢語のようなものらしい。
その学生に聞いてみた。米国の学校で英作文の添削指導はあるのかと。答えはYES。どの学校でもあるのだそうだ。
母国語の読み書き話す能力は学習の基本の基だ。英語だろうと日本語だろうと。なぜかというと、作文は自分の頭の中を整理しないと書けない。分からないことがあると書けない。ものごとを理解する、事柄や意見を他人に伝える能力を育てるには不可欠な訓練だと思うからだ。
英語教育の強化には反対しないが、それと同等以上に日本語の作文能力の強化をしないと学生の学習レベル向上は画に描いた餅になる。
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