前期講義が終わった。講義の名前は「科学技術とジャーナリズム」。今期で3回目だが、年々受講生が減って今期は25人だった。カリキュラム改定で3年前にスタートしたのだが、改定前の「メディアリテラシー」という講義に比べ受講生は半減、いや3分の1になった。
講義の中身は、社会を対象にメディアを論じるか、科学技術を対象にするかの違いで、本質的には大きな違いはない。シラバスを読めば、どんな講義かはだいたい分かるはずだが、学生の人気には差がある。これが理科離れの実態なのだと思うしかない。
講義名は大学当局が決める。私が決められるなら、もっと魅力的な名前を考える。
講座名、学科名だけで学生が敬遠する傾向はいまに始まったことではない。私の出身東大原子力工学科は1980年代、反原発運動の高まりの中で、志望学生が減り、結局学科名を量子システム工学科に変更した。最近では情報という言葉がつく学科が敬遠される。
学科の名前を変えただけで志望者が増えたり減ったりする科学技術とはいったい何なんだ。私はあえて大学に講義名変更は求めなかった。受講学生が少ない方がきめ細かい授業ができるメリットもある。
受講学生の将来志望を聞くと、研究者、技術者志望はゼロだった。科学技術に引かれて受講しているわけではなく、ジャーナリズムの方にひかれて選択したようだ。去年は科学技術とジャーナリズムの関係に興味を持つ学生が数人いた。本来ジャーナリズムは特定分野だけを対象にするものではないが、取材できる範囲に自ずと限界があるから、新聞社でも政治、経済、科学などと分野を分けている。だからといって専門分野に閉じこもっていていいわけがない。
科学技術という冠はジャーナリズムを学ぼうとする学生の最初の意欲さえ減退させているのは確かだ。それだけ若者は科学技術にネガティブイメージを持っている。科学技術の指導者、政策推進者は肝に銘じておく必要がある。
科学ジャーナリストを自称する人々がいる。専門記者としての誇りを示しているのだと思うが、自ら専門を理由に対象を限定してしまう名前の付け方はジャーナリズムにも科学技術にもマイナスではないか。そんな気さえする。
学生たちがどんな職業に就くにせよ、現代は科学技術に関する問題から避けて通るわけには行かない。その時、どう理解し、顧客や社内にどう説明すればいいか。今から考えておけ、といって講義を終えたが、何か虚しさを感じている。
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